【書評】『なんとめでたいご臨終』/小笠原文雄・著/小学館/1512円
【評者】奥野修司(ノンフィクション作家)
人生の最期を自宅で過ごした人たちの、奇跡ともいえるエピソードがぎゅっと詰まった本である。人にはいずれ死が訪れる。そのとき不安がなく、笑って逝けるなら、死はちっとも怖くない。書き手は、そのことを在宅医療の現場で実践し続けている小笠原文雄さんである。
かつて小笠原さんの往診に同行させてもらったとき、死に逝く人と笑いころげながら話をするのを見て唖然とした記憶がある。
死は忌むべきもの、だから見送った家族は怒涛の涙を流した。ところが小笠原さんの看取りはそうじゃなかった。とりわけ僕の常識をふっ飛ばしたのは、臨終直後のご遺体の前で、家族と一緒に笑顔で記念写真を撮ったときだ。
ええっ、亡くなったばかりなのに笑顔でピース!? あのときは心臓が飛び出すほど驚いたが、小笠原さんは、さも当然のように言う。
「旅立つ人が希望死・満足死・納得死ができたなら、離別の悲しみはあっても、遺族が笑顔で見送ることができるのです。『なんとめでたいご臨終』と言わずにはいられません」
そんな死を叶えてくれる小笠原さんだからこそ、死を「めでたいご臨終」と言い切れるのだ。
小笠原さんが岐阜で在宅医療を始めたのは二十五年前。最初は普通の医師だったが、ある末期がんの患者が、いつも使っていた鞄と靴を枕元に置き、「明日、旅に出るから」と妻に言い残すと、予言通りに翌日亡くなった。その穏やかな死に顔から、「最期まで家にいたい」という願いが叶った時の、目に見えない命の不思議を感じた小笠原さんは、それ以来、在宅医療に取り組んだ。
住み慣れた家で最期まで暮らしたいと思いながら、現実には七割の方が病院で亡くなっている。「家族に迷惑をかける」「お金がない」「介護は無理」「ひとり暮らしだから」とさまざまな理由で。末期がんで一人暮らしの在宅医療は無理と言われる理由は、誰もいない夜中の孤独死を心配するからだ。でも病院だって孤独死はいっぱいある。こんな誤解が、在宅死を望みながら、在宅医療を遠ざけているのだろう。
でも小笠原さんは、どんな患者でも引き受ける。なにしろ、「在宅ホスピス緩和ケアに家族の介護力はいらない」と言い切る過激な医者なのだ。だから、目はほとんど見えず、耳も聞こえず、末期がんという三重苦のひとり暮らしでも往診する。どうやって? それは読んでのお楽しみとして、この方は在宅で八年も長生きして旅立たれた。
本当にそんなことが可能なのかと疑うなら一読すべし。旅立ちを前にした人たちの、胸を打つこんな言葉を聞けばきっと納得するだろう。
「わっはっはっ。やっぱり家はいいもんだな」
「がんになって死ぬと思った今が、いちばん幸せ」
「まるで夢を見ているようだ」
「世界でいちばん幸せ。ありがとうね。いつ死んでも悔いはないよ」
「家で好きなことをして過ごせるのは、本当に幸せ」
最期まで大好きなコーヒーの香りを味わいながら、爽やかに旅立っていった方もいる。だから「笑顔でピース」なのだ。本書には、「人生のめでたい最期」を迎えられた人たちのいのちが輝いていた。
ある患者の家族から「在宅ホスピス緩和ケアってなんですか?」と尋ねられた小笠原さんはこう言う。
「痛みを取り、笑顔で長生き、ぴんぴんころりと旅立つことですよ」
笑顔でいられるのは痛みをとるからだ。死に逝く人が納得し、笑って旅立てるなら、遺された家族にグリーフケアもいらない。
本書を読んでいると、人間って不思議だなあとつくづく思う。ひ孫の到着を待って安心したように亡くなる人、「退院したら五日で死ぬ」と言われて退院したのに、五年後の今も生きている人…。
奇跡なのか、いのちの不思議に圧倒されずにはいられない。言語障害があったのに、必死の思いで「あ・り・が・と」と口を動かし、一粒の涙を流して旅立たれた方。そうなのだ、旅立つ人も見送る人も、最後に「ありがとう」と言い合える、在宅医療はそういう別れができるのだ。
う~む、それなら死はちっともこわくない。小笠原先生、僕があの世に逝くときは、よろしく!
※女性セブン2017年7月20日号