歴史小説などの舞台として扱われることの多い江戸時代。「事実は小説より奇なり」とは言うが、実際には虚実がないまぜになっている例も少なくないようだ。
江戸時代の剣豪・宮本武蔵。その物語のクライマックスとして描かれる、佐々木小次郎との巌流島の決闘。あえて遅刻して現われ、心理戦で勝利したことになっているが、全く違ったかたちだったとする史料がある。
「『沼田家記(※小次郎が剣術師範を務めていた小倉藩・細川家家臣の沼田家に残された記録)』によれば、武蔵の一撃で気を失った小次郎は、その後いったん目を覚ましたものの、巌流島に来ていた武蔵の弟子たちに寄ってたかって殺されたと記されている。
巌流島は当時舟島という呼称で、小次郎は集まっていた野次馬たちから『気をつけたほうがいいよ、さっき武蔵の弟子たちが複数舟島に渡ったから』と伝えられていたとも書かれています。それでも小次郎は武士らしくひとりで島に渡り、堂々と勝負したのです」(歴史研究家・井手窪剛氏)
一方、江戸の南町奉行・大岡越前守が行なった人情あふれる「大岡裁き」の実態も定かではない。
「史料として確かなのは自筆で仕事の内容を記録した『大岡日記』くらい。有名な“三方一両損”裁きの話は井原西鶴の小説を元にした作り話。『大岡日記』の記述を見ていくと、大岡越前守は将軍の意向に真っ先に従う人。大岡裁きのイメージとはかなり違います」(井手窪氏)
※週刊ポスト2017年7月21・28日号