2020年の東京オリンピックに向けて、外国人観光客も増え、日常的に英語を使う機会も増えるはず。どうにかして英語を話せるようになりたいと思っていても、ベストな勉強法に出合えないという人も多いのでは? そこで、58才から英語の勉強を始めて、約2年で英語を話せるようになったという広島市の山岡美知子さん(66才)に、英語勉強法を聞いた。
【プロフィール】
山岡美知子さん/広島県出身。母親は広島で被爆。2008年、夫を亡くし、58才の時に原爆ドーム前で、被爆の実態を伝えるボランティアを始める。
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8年前に原爆ドーム前で被爆の実相を伝えるボランティアを始めました。今は、被爆者である母親から受け継いだ記憶を含め、広島を訪れる外国人に向けて、わかりやすい英語でガイドをしています。
ボランティアを始める前まで、私は英語を全く話せませんでした。とにかく英語が嫌いで、全然話すことなんかできなくて、通知表の10段階で2とか3とかしかとれなかった。本当にできなかったんです。英語がダメで合格できそうな大学がなかったくらい。
核兵器を廃絶するためには、海外の人たちに1人でも多く広島のことを理解してもらう必要があります。そのためにも、英語を勉強せんといけない。そこで58才から、英語を猛勉強し始めたんです。
私の最初の勉強法は、まず1つの文章を書いて、それを一生懸命覚えるだけ。自分で文字をひたすら書いてそれを記憶するんです。1週間同じ文章ばかり繰り返すから、友達から“同じ言葉しか言えないんだね”と皮肉を言われたこともありました。
次に、文法を勉強しなくちゃと、NHKラジオの基礎英語、中学1~3年のテキストを買ってきて、毎日3~4時間は聞きながら勉強しました。1年経つと関係代名詞というのがあったよね、とか少しずつ文法もわかってきたんです。
たまに自信がなくなり、もうやめようかと思った時もありました。でも、広島の歴史を外国の人にも深く知ってもらいたい。その思いだけでひたすら辞書を引きました。
2年後、オーストラリアのラジオ局の取材を受けて、英語で答えました。その時、気づいたらいつの間にか話せるようになっていて、自分でも驚いたんです。英語のフレーズが自然とスラスラ出てきたんですね。後でその時自分が話した内容を調べてみたら、これが結構合っているんです。
初めて自信がつきました。これまで90か国以上、2万人近い外国人を相手にガイドをしてきました。
私は原爆のことを伝えたかった。だから、必死で英語を勉強しました。息子からも、「お母さんその年になって、英語なんか全然だったのに、よくがんばって勉強したね」と言ってもらえました。つまりは、「自分が何を伝えたいか」、いちばんはそれなんです。
※女性セブン2017年8月3日号