映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、作家の渡辺淳一氏と意気投合した理由、完璧主義だった伊丹十三監督作品に出演した思い出について語った言葉を紹介する。
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津川雅彦は1980年から1990年代にかけ、渡辺淳一原作の作品をはじめとする文芸映画に多く出演、数々の女優と濃厚なラブシーンを繰り広げてきた。
「渡辺先生と気が合うと思ったのは、『《男男しい》と書いて《めめしい》と読むんだ』と話された時だ。僕も同感だった。優柔不断、嘘つき、嫉妬深さ──この点において男は、女に勝る女々しさの持ち主なんだ。僕の演技についても先生は『君は男の冴えなさ加減、卑怯さを出すことを充分分かってくれてる』と言って、可愛がってくれた。
ラブシーンでは、観客は男優をあまり見ない。男の役割は、女優がどれだけ綺麗な肢体に見えるか、エロティックに見えるかの介添え役ということさ。女性の背中にこっちの手を入れて胸を反らせることで乳房を大きく見せるとか。胸の愛撫を見せたい時は、乳首が映らないようにうまく手を動かすとか。
つまり時代劇の殺陣と同じく、男優は女主人公を美しく見せるための斬られ役を演じるんだ。
ただいやらしくやっても面白くない。ラブシーンで飽きられないようにするには、『えっ』という意外性、『あっ』という驚き、『なるほど』という説得力を工夫して、『エロティズム漂うムードを醸し出すアイディア』を入れながら『女性の姿態を魅力的に見せること』。たとえば、スカートの下からパンティをはがし取るのさえ見せておけば、中でどう手を動かしてもエロティックに見えるわけさ」
伊丹十三監督の作品には、1984年の第一作『お葬式』から1997年の遺作『マルタイの女』まで十本中九本に出演している。