【著者に訊け】星野博美さん/『今日はヒョウ柄を着る日』/岩波書店/1512円
【本の内容】
著者が住むのは東京でも有数の商店街のある戸越銀座。コーヒーショップでいつものように原稿を書いていた著者は、ある日、ヒョウ柄のシャツにヒョウ柄のスカーフを巻いたおばあちゃんに気がついた。そして「ヒョウ柄コンシャス」になった著者の目に映る彼女たちの生態と老いの実相とは──。
「老いってグラフみたいに一方向に進んでいくものではなく、折り紙を折ったように、子供時代とお年寄りの時代は重なるんじゃないかなと。気を配ってあげないといけないんだと、暮らしてみておぼろげながら分かってきました」(星野さん)。
星野さんによれば、ヒョウ柄のような自己主張の強いファッションと、その人の声の調子にはかなり関連性があるそうだ。
「ヒョウ柄を着ておとなしい喋り方をする人って皆無なんです。今日の午前中も喫茶店にそういう人が入ってきて。すぐに知り合いを見つけて、隣に座ればいいのに店の端に席を取って、大声で畳みかけるように話してました」
エッセイは、星野さんが両親と暮らす、東京・戸越銀座のおばあさんたちの武装としてのファッションの考察に始まって、高齢者と「覇気」のありようや記憶はだれのものか、といったことなど、身近なことがらから、心の内側の深いところにどんどん降りていく。
「初めは私も表面的な服装のことだけ見てたんですが、書いていくうちにこれは中身にかかわる話なんだと気づいて。本を読んだ友だちからは『ヒョウ柄はどこへ行った?』とも言われましたけど(笑い)。ただ最近、いろんなコミュニティーに属したり抜けたり、家族の中でも戦ったり協力したり、死ぬまで生存闘争して、人間も動物も一緒だな、と感じているので、このタイトルで良かったな、と思います」
テーマを設定せず自由に書いていったそうだが、全体を通して、老いや、人の死をめぐる話がかなり多くなった。
「それはやっぱり、年寄りと暮らしているからだと思いますね。小さいころから私は『じじばばっ子』だったんです。大人になっていったん家を出ましたが、生まれ育った家に戻って、近所のお年寄りがみな私を『ひろちゃん』と呼ぶ環境で、いまは高齢化社会の予備校に入ってるみたい(笑い)。なかなかすごい英才教育です」
実家があるのは下町で、両親のもとにはいろんな情報が入ってくるらしい。
「友達が身ぐるみはがされて息子に捨てられたとか、すごい話をいっぱい聞きます。家族であっても成人した後はある意味、他人で、自分の身は自分で守らないといけないなんてことを考えさせられます。あと、あまりに我の強い人間は周りを傷つけるし、齢を取って弱くなってから復讐されるので、そろそろ私も丸くならなきゃいけないな、と思ったりもしますね」
(取材・文/佐久間文子)
※女性セブン2017年8月10日号