日本の歴史を振り返れば、権力者たちは特権的な「養生」を行っていた。彼らの “裏ワザ健康法”を紹介しよう。
50歳で隠居し、その後56歳から地球一周分を歩く測量と地図作成の旅をした伊能忠敬(享年73)。
忠敬は家族に宛てた手紙の中で「来年の3月から5月には壱岐、対馬、五島にわたる」とか、「来年の2月ころには江戸に帰ると思う」などと記していることから、綿密なスケジュールを立て、計画的な測量旅行を行っていたとされている。『日本史偉人「健康長寿法」』の著書がある作家の森村宗冬氏はこう語る。
「忠敬は同じ手紙の中で、江戸に帰って地図を完成させるまでは大切な身と心得、寒い中でも気を付けているから心配するなと書いています。スケジュールを決めて、それを実行するために健康に気を配っていることが窺える。そうした態度が、歩くことの効果と相まって長寿をもたらしたと考えられます」
明治維新で活躍し、新政府では軍政の整備、陸軍の基礎をつくった山縣有朋(享年83)。胃腸が悪かったにもかかわらず、暴飲暴食を繰り返していた。日清戦争の時には陸軍大将・第一軍司令官として従軍したが、胃腸炎を発症し帰国。その2年後にはロシアからの帰途、周囲に棺桶づくりを命じるほど下痢に苦しんだこともあったようだ。
しかし、晩年になると自重路線に変更。生来の慎重な性格に拍車がかかり、特に食事に気を使った。
「野菜はすり潰し、胃腸に負担をかける繊維質を取り除いた上で食べていたようです。それが知られるところとなって、『山縣公は鶯のすり餌を食べている』などと新聞に書かれたこともありました。この思い切りのよい路線変更が健康長寿の要因となったのは間違いないでしょう」(森村氏)
※SAPIO2017年8月号