1970年代から1990年代にかけて、人気の芸能人が多数出演する「水泳大会」は夏のテレビ界における風物詩だった。そこには、当時の人気女子プロレスラーも出演していた。かつて何度も水泳大会に参加した女子プロレスラーのダンプ松本が、当時を振り返る。
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女子プロレスラーは1985年あたりから『オールスター紅白水泳大会』に出演していました。最初、私は出ていなかったのですが、“女子プロレス界の聖子ちゃん”と呼ばれていた立野記代が競泳で宮崎ますみちゃんを抜いて、1位になってしまった。当時、アイドルに勝ってはいけないという暗黙のルールがあったので、立野の代わりとして私が呼ばれるようになりました。
番組からオファーがあった時点で、女子の水着を剥ぎ取る役目だろうなと察していました(笑い)。実際、現場で騎馬戦が始まる直前、スタッフに「あの子とあの子を脱がせてください」とポロリ要員を教えられました。それなのに、必死に抵抗して水着を剥ぎ取られないようにする子がいたんです。「おまえ、何のために来たんだ!」と怒鳴って、力任せに水着を破きましたよ。
剥ぎ取るコツ? とにかく思いっきり引っぱってやることです。脱がされているのに、まだ手で胸を隠しているヤツもいたのは腹が立ちましたね。そうかと思えば、誰も構ってくれないポロリ要員は自ら脱いでいました(笑い)。
番組に出始めの頃はアイドルに詳しくなかったし、まだ現役プロレスラーでテレビの事情もよくわかっていなかったんです。だから、指定された子以外も脱がせて良いものだと思っていたんですよ。西田ひかるちゃんの水着を剥ぎ取ろうとしたら、「ダメ、ダメ、ダメ」と必死に抵抗されました(笑い)。田中律子ちゃんのも引っ張ろうとしたら、「ヤダ、間違えないでよ~」と拒まれました。後でスタッフに怒られましたねえ。
騎馬になっている男性陣から「あのアイドルを脱がせてくださいよ」と頼まれることもあったけど、それからは「あの子はダメだから」と逆に教えてあげるようになりましたね。
●だんぷ・まつもと/1960年11月11日生まれ。埼玉県出身。10月22日12時より東京・新木場1stRINGにて開催の女子プロレス『極悪祭』に出場する。
※週刊ポスト2017年8月18・25日号