明治維新が素晴らしいものであるとの“常識”に疑義を呈したのは『明治維新という過ち』の著者で作家の原田伊織氏だ。氏は明治維新がその後の軍部の台頭を招き、また「官軍史観」が現代社会を歪めていると指摘する。
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明治維新と呼ばれている政変によって、日本が背負った「負の遺産」は少なくない。千年以上にわたって「神仏習合」という形で維持してきた穏やかな宗教秩序や多元主義的な生態を、「復古」を狂信的に唱える薩長新興勢力が「廃仏毀釈」というイスラム国のようなやり方で徹底的に破壊した。世界史にもあまり例をみない恥ずべき文化破壊活動である。
また江戸日本は300諸侯がそれぞれ独自に地域社会を治める連合国家でもあり、独自の自然観に基づく、現代からみれば驚くべき先進的な持続可能な社会システムを構築していた。しかし西欧文明にかぶれた薩長によって一元化した中央集権体制が強いられ、日本的な多元主義や寛容かつ平穏な精神文化が否定されてしまった。
一元主義、不寛容の象徴が靖國神社だ。これは、江戸幕府を滅ぼした長州側が、「官軍」の戦死者だけを祀るために作ったもので、正義の基準を官に置いて“官にあらざれば賊である”と独善的な考えのもとに誕生した。つまり靖國神社は、自らのみを「正義」としてそれに対する崇拝を強制するという意味で極めて「非日本的」な神社と言える。
現在、保守派の政治家から西郷隆盛ら「賊軍」を合祀せよとの声があがっているが、その貧弱な歴史観はこっけいにしか映らない。今でも長州賛美主義者が堂々と公言している通り、靖國神社はどこまでいっても「長州神社」であることを忘れてはいけない。