かつて左利きは“矯正すべき欠点”として疎まれ、幼い頃に厳しくしつけられた人が多い。
「小学校でからかわれるのが嫌で、必死に矯正しました」(50代男性)
「“女の子の左利きはお嫁に行けない”と言われ、母から徹底的に直されました。お箸や鉛筆を左手で持とうとすると、すぐに物差しで手を叩かれたことを思い出します」(60代女性)
この、「左利き=欠点」という図式は、テレビの世界でも同じだった。芸能評論家の肥留間正明さんが振り返る。
「昔はドラマや映画の箸を持つシーンや字を書くシーンでは、左利きの役者さんも右利きに直されていました。きちんとした家で育てられた役ならば、食事するときに左で箸を持つのではなく、右でしょうと」
日常生活でも、テレビの中でも、左利きは隠すものだった。だが、1973年に麻丘めぐみの『わたしの彼は左きき』がリリースされると、少しだが、風向きが変わる。50万枚を売り上げた大ヒットソングとなり、麻丘は紅白歌合戦出場も果たした。
「最初、曲名を見た時『タブーに触れて大丈夫かな』と思ったんです。心配をよそに、曲は大ヒット。これをきっかけに左利きにスポットライトが当たり、左利き用のはさみや包丁が売られるようになりました」(麻丘)
さらに、「左利きは隠すもの」という風潮にも風穴があいた。
「左利きのファンから“今まで恥ずかしいと思っていたけど、恥ずかしがらずに学校に行けるようになった”とか、“自慢になった”“自信になった”とお手紙が届いて、いまだにお礼を言われるんです。タブー視されていたものが魅力に変わって、みんなが喜んでくれた。貢献できてよかったなと嬉しかったです」(麻丘)
これを機にテレビでも、少しずつ左利きの出演者が増えたが、批判も少なくなかった。例えば、1985年に始まったワイドショー『ルックルックこんにちは』(日本テレビ系)の中の名物コーナー『突撃! 隣の晩ごはん』のヨネスケ(69才)。
同コーナーで、食事をする際、当初、ヨネスケは利き手である左手で箸を持って食べていた。