認知症があり、ひとり暮らしに不安が多くなった母を自宅近くのサ高住(サービス付き高齢者住宅)に移してひと安心のN記者(53才・女性)。でも、母は安全と引き換えに失うものもあった。その1つが、得意だった「料理をする習慣」だ。
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母がサ高住(サービス付き高齢者住宅)に引っ越したのは2014年の夏。父が他界してから約1年半の独居で母の認知症は進み、激やせして家の中は荒れ放題。その地獄から脱出させたい一心で、また母がいくつかの高齢者住宅や施設を見学して選んだ“その気”が変わらないうちにと、大急ぎで引っ越しを完了した。
父と暮らした75平方mのマンションから25平方mのワンルームへ。散乱する大量の物の中から母の新生活に必要な衣類と少しだけ思い出の品、そして炊飯器、鍋、包丁、まな板を段ボールに詰め込んで、小さなトラックで運んだ。
調理道具を持って出たのはほぼ私の独断だった。激やせするほど不規則な食生活になりつつも、調理は細々と続けているようだった母。認知症でできないことが増えるだろうが、身についた習慣はできるだけ残そうと思ったのだ。
サ高住では作ってもらった食事を食堂でとることもできるし、居室にはミニキッチンがついている。朝食と夕食は食堂で居住者の人たちと一緒に、昼食は自炊と、母の新生活のプランを練った。我ながら見事なリハビリ案だと思っていたのだが…。
「炒め物とか煮物とか、簡単な調理は続けなよ。毎日、お散歩がてらに買い物行って」
「そうだね」
「慣れるまで、ヘルパーさんに調理を手伝ってもらうようにしたからさ」
「そうだね」
「ガスコンロじゃなくてIHだよ! 安全で最先端のキッチン。ワクワクするね~」
「そうだね」
気負った私とは裏腹に、母は何を言っても無気力に返すだけ。今思えば母にとってはいちばん激動の時だったのだ。