武田信玄といえば、日本史の偉人の中でも人気が高い人物。地元・山梨では信玄公と呼ばれ、親しまれる武田信玄だが、親子二代にわたる相続トラブルの主役となったことをご存知だろうか? 歴史コメンテーターの金谷俊一郎氏がいう。
「信玄の父・信虎は『ワンマンタイプの信玄に任せては武田家の将来が危うくなる』と考え、信玄の弟・信繁を後継ぎにしようと画策した。これに怒った信玄は1541年に反乱を起こし、父親を甲斐の国から追放しました。
24年後、今度は信玄の息子・義信が父親への謀反を企てた。未遂に終わり、義信は幽閉されて自害に追い込まれた。二代続けての家督トラブルの当事者となりながら、両方に勝利した信玄はさすがです」
※週刊ポスト2017年9月15日号