総務省の家計調査によると、2015年度の年間ペット関連費は世帯平均で1万6967円。この数字は2000年の1.5倍である。空前のペットブームに沸く日本で、飼い主は食事に病気治療、果ては葬儀まで、人間と同等以上の労力をかけてペットの世話をしている。
だがその裏で、獣医師たちの心身は追い詰められていた。
原因はモラルの崩壊した飼い主、いわゆる「モンスターペイシェント」による、治療に絡んだ訴訟である。東京都獣医師会の顧問弁護士を務めるフラクタル法律事務所の堀井亜生先生が解説する。
「ペットを巡る訴訟は確実に増えています。私の場合、数年前は年間数件でしたが、今では常時数件の訴訟を抱えている状態です」
治療をしたのに死んでしまった、病状がよくならない、後遺症が残った――訴訟の理由はさまざまだが、最も医師を悩ませるのが、「積極的に治療を勧めてくれなかった」というもの。
「獣医師は考えうる治療方法を飼い主に説明しますが、“必ず治せる”と断言はしない。とりわけ重篤な症状の場合はそうです。最終的にその治療を選択するかどうかは飼い主の判断に委ねられる。ところが、説明を聞いて治療を辞退したにもかかわらず、後日“あの時もっと積極的に治療を勧めてくれたらうちの子は死ななかった”と訴訟に発展してしまうことがよくあるんです」(堀井先生)
訴訟を起こす飼い主に共通するのは、やり場のない怒りを全て医師に向けていること。
「しかも、圧倒的に女性が多い。独身か、既婚者でも子供のいないかた。ペットが恋人であり子供であり親友になっている。そのペットが死んでしまった時、悲しみのはけ口になる存在が周りにいないんです。だから矛先が獣医師に向いてしまう。
訴訟期間中に心の傷が癒え、和解に至るケースもありますが、一方で、最高裁まで争い、獣医師が勝訴したにもかかわらず、違う訴訟内容で別の弁護士をつけて、もう一度訴えてくるかたもいる。要するにペットロスから立ち直れていないということです」(堀井先生)
もし医療過誤が認められ、賠償金が支払われたとしても、動物の場合、賠償額は数十万円程度。
「弁護士費用の方が高くつくケースも多い。それでも最近は、あえて訴訟に持ち込む飼い主さんが増えています。動物は言葉を話せません。命がついえる最期の瞬間、彼らの気持ちを飼い主は想像するしかない。つらかったのか、幸せだったのか、本当のところはわかりません。だから感情のもって行き場がなく、飼い主もあとに退けず、泥沼化してしまう」(堀井先生)