写真が残っていないため、西郷隆盛は大の写真嫌いだったと言われる。しかし、『西郷隆盛伝説の虚実』の著書がある歴史家の安藤優一郎氏は、実際はそうではなく、単に写真を撮る機会がなかっただけではないかと分析する。
「大久保利通や岩倉具視など新政府の要人たちは、例えば明治4(1871)年の欧米視察(岩倉使節団)の際に写真を撮っています。しかし、西郷は留守政府の責任者として国内に残り、そうした機会がなかった。もちろん日本で写真を撮ることも可能ですが、廃藩置県による統治システムの再構築をしている最中、写真を撮る時間もないほど多忙であったことは容易に想像がつきます」
写真がなく、ベールに包まれた西郷の顔をめぐっては、明治31(1898)年、東京・上野公園に建立された西郷像除幕式の際にイト夫人が「こんな人ではなかった」と発言したという逸話もある。
「しかし、それは『銅像のような着流し姿で人前に出るような、礼儀をわきまえない人間ではない』という意味で、顔など容姿が似ていないという意味ではなかった。写真が存在しないことが、『顔が違う』という伝説を生む下地になったのでしょう」(安藤氏)
◆取材・構成/浅野修三(HEW)
※SAPIO2017年10月号