西郷隆盛を「維新三傑」たらしめる最大の功績といえば、慶応4(1868)年の「江戸無血開城」が挙げられる。旧幕府側の本拠地が無抵抗で明け渡されるという、新政府軍の優勢を決定づけた象徴的な出来事である。
倒幕強硬派として新政府軍を率いた西郷は、江戸城総攻撃を翌日に控え、旧幕府側代表・勝海舟と会談。そこで方針を180度転換し、独断で攻撃中止を決断した。それにより、江戸市民150万人は戦禍を免れ、維新は加速したのである。
強硬派・西郷を翻意させたのは、当時横浜にいたイギリス公使パークスだったとする説がある。新政府軍に、「恭順の姿勢を示した者に戦争を仕掛けるのは認められない」と抗議したというのだ。『西郷隆盛伝説の虚実』の著書がある歴史家の安藤優一郎氏は、こう解説する。
「実際にパークスの抗議があったことは史料に残っています。しかし西郷は、パークスの抗議を『攻撃中止』の大義名分として利用したにすぎません。中止を決断した最大の理由は西郷の『武士の情け』です。
西郷の残した功績をみれば、その本質は政治力であり、交渉の巧さだと言える。江戸城総攻撃計画は旧幕府側から最大限の妥協を引き出す切り札だったと考えられます。しかし、この独断により新政府内に西郷不信の種を蒔くことになってしまいます」
◆取材・構成/浅野修三(HEW)
※SAPIO2017年10月号