番組を観て、もう一度、仲睦まじい3人の姿を見てみたいと思った往年のファンも少なくないのではないか──。9月22日放送の『しくじり先生 特別編』(テレビ朝日系)には、ルー大柴(63)が登場。35歳の遅咲きブレイクから40代での低迷、53歳での見事な復活に至るまでを話した。
久しぶりのバラエティ番組出演となったルーは以前のギラギラ感(ギトギト感)が消えており、最初は喋りのキレもないように見えた。しかし、時間が経つと感覚を取り戻したのか、徐々に流暢な話しぶりに変わっていき、「一寸先はダーク」「リトルビット変わった人間だったから」「(最高年収1億円となり)諭吉が家に来てトゥギャザー」と相変わらずのルー語を駆使し爆笑を取っていった。
ルーは同番組でも述べていたように、小堺一機と関根勤のラジオ『スーパーギャング コサキン無理矢理100%』(TBSラジオ)をきっかけにブレイク。1990年代前半には、小堺の『いただきます!』に登場したり、関根と一緒に『笑っていいとも!』(ともにフジテレビ系)のレギュラーを務めたりと3人は同じ浅井企画のタレントとして頻繁に共演していた。
ルーは1995年辺りからメディア露出が減るも、その後も関根の舞台『カンコンキンシアター』には登場し続けていた。また、コサキンのラジオでは時折ゲストに呼ばれるだけでなく、ルーがLa.おかき(飯尾和樹と村山ひとしのコンビ)に対して歌った『ルー節』や持ち歌である『YOKOHAMA』などが“ヘタ歌”として何かと話題になっていた。
だが、『しくじり先生』では、番組の準レギュラー格だった関根勤の姿が観られなかった。芸能関係者が話す。
「番組でも述べていたように、マネージャーに発奮させられたこともあり、ルーは2007年に再ブレイクを果たします。だが、同時期にマネージャーと事務所の折り合いが悪くなってしまった。どちらが悪いというわけでもなく、考え方の違いだと聞いています。
そして、2008年に浅井企画からマネージャーが出ていくことになった際、ルーはマネージャーに付いていくことを決めた。そのマネージャーがいなければ再ブレイクはなかったわけで、ルーの気持ちはよくわかる。ただ、浅井企画側とすれば、当然『低迷期も面倒を見てきていたのに……』という思いになるでしょう。
時間経過でいうとマネージャーが先で、ルーは後です。ルーは苦渋の末に独立を決断した。独立の頃から一貫して、『マネージャーに付いていった』という言い方をしています。しかし、周りからはそう取られなかった。ブレイク直後に独立したことで、事情を知らない人には、恩知らずという見方さえされてしまった」