「歴史に学べ」という言葉がある。現代の世の中を捉える時、よく使われる言葉だが、過去の歴史をさらに古い過去と比較し、学ぶこともできる。作家・井沢元彦氏による週刊ポストの連載「逆説の日本史」より、徳川第五代将軍・綱吉の「バカ殿説」についての考察をお届けする。
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近現代史に入ったところで、四半世紀前に私が指摘し『逆説の日本史』を起筆するきっかけともなった日本歴史学界の「三大欠陥」について改めて説明している。その第一が「滑稽なまでの史料絶対主義」であることは前回(の当連載で)ご説明した。
「犬公方(いぬくぼう)徳川綱吉」がいかに優れた、それも政策立案能力、実行力、高邁な理想と三拍子そろった名君であったかを証明し、その名君を「犬バカ」としてしかとらえられない日本歴史学界の問題点を指摘しておいたが、もう少し補足しておこう。
日本を代表する学者のひとりである新井白石が綱吉のことを「暗君」すなわちバカ殿と批判している。これは事実である。このことも日本歴史学界の「綱吉バカ殿説」を補強する形になっている。すなわち「白石ほどの学者が綱吉を暗君と言っているのだから、やはりバカ殿だ」ということだ。確かに新井白石が大学者であることは否定しない。
しかし、いくら大学者とはいえ、一個の人間でありまた江戸時代の人間でもある。当然その「学識」にも現代の目から見ればさまざまな欠陥があるし、また前回指摘しておいた「常識」の問題もある。
この場合の常識とは「新政権の担当者は前代の政権の悪口を言うものだ」という、「学識」以前の人間世界の決まりごとのことである。それは昨今のアメリカのトランプ大統領のオバマ前大統領への批判にも現われているが、よく考えれば中学生でもわかることで、新政権の存在意義を強調するための一番よい方法はこれだからである。討幕の志士たちも「幕府は悪だ」と言ったではないか。逆に褒めてしまえば、「そんなよい幕府を倒す必要があるの?」ということになってしまう。