彼の名は、岩野響(ひびき)くん。15才の珈琲焙煎士だ。小学3年でアスペルガー症候群と診断され、中学で不登校になった。そしてこの春、高校進学はせず、自らの珈琲豆販売店を開店。
「500円でも自分の力で稼げるように」──そんな両親の思いを大きく上回り、わずか2か月後には、焙煎が追いつかない爆発的人気を呼んでいる。障がいを受け入れ、自立への道を切り拓く、奇跡のような家族の軌跡を振り返る。
母親の岩野久美子さん(36才)は、響くんの幼少期をこう述懐する。
「夜は全然寝ない子でしたね。それと、落っこちてるものを全部口に入れたり、枝とか木を食べてどんな味がするかを確かめたりとか、変へんは変だったんですよ。必要以上に人懐なつっこかったり、かと思えば石みたいに固まって動かなかったり。おしゃべりも遅くて、3才くらいまでうまくしゃべれなくて。
お医者さんに相談したこともあったんですけど、『まだ許容範囲内だから様子を見ましょう』と言われて。そのうちにしゃべれるようになったので、考えすぎかなって。そこまでおかしいと思わなかったんです。
2才のころは、洗剤の空き容器が大好きで、アタックとか、チャーミーV、ミューズなどのボトルをテーブルいっぱいに並べてずーっと遊んでましたね。まあ、鉄道とか昆虫が好きな子もいるし、子供ってそんなものかなって。
ただ、保育園の時、庭で砂遊びをしていると、みんなが教室に入っても気づかなかったり、お部屋に戻る時間だよって呼んでも聞こえてないみたい、と先生から言われて。耳が悪いんじゃないかと、聴力検査もしましたね。異常は見つからず、何だろうねって。攻撃性も多動性もないから目立たなくて。みんなとちょっと違う個性なのかなと受け止めていました」
久美子さんは、地元の進学校を卒業後、「とくにやりたいことがないのに大学に行くのもなぁ」とフリーターに。夫となる、2才年上の開人(はるひと)さん(38才)と出会う。そして同級生が大学生活を謳歌しているころ、21才で響くんを出産する。決して早いとは思わなかったが、世間からは「若いから」と揶揄されることが多かった。
「私がまだ若いから育て方が悪いんじゃないか、とか、愛情不足なんじゃないかとか言われたりもしてたので、そうなのかなとも思いました。でも、本音を言うと、そこまでマイナスに考えてなかったんですよ。私自身が正規ルートの人生を歩んでなかったから、社会とはそう見るものだなと冷静に受け止めただけで。ただ、ひーくん(響くん)がみんなと何が違うのかというのは、ずっと考えていましたね」(久美子さん)