平成という時代に強い風が吹こうとしていた。史上最低の支持率に苦しんだ森喜朗政権は、国民に政治不信を植え付け、それを払拭する役目を次期総理・小泉純一郎氏が担うことになる。「自民党をぶっ壊す」──こう宣言した男が壊したもの、壊せなかったものとは何か。作家の佐藤優氏と思想史研究家の片山杜秀氏が当時を振り返る。
片山:森内閣退陣後に「自民党をぶっ壊す」をキャッチフレーズにして登場したのが、小泉純一郎でした。 彼は本当に自民党を、いや、政党政治を根本からぶっ壊した。まず長期政権を担ってきた自民党の支持母体だった郵便局や農協を狙い撃ちにした。
遡れば、1980年代以降、右派も左派も組織をひたすら破壊してきました。三公社五現業(※注1)も解体されて、労働組合も組織を維持できない。個人と国家の間に存在していた中間団体が排除されてしまった。
※注1/日本国有鉄道・日本専売公社・日本電信電話公社の三公社と、郵政・造幣・印刷・国有林野・アルコール専売の五事業の総称。国有林野事業を除きすべて民営化されるか、独立行政法人に移管。
佐藤:霞が関では、小泉政権ではなく、野中(広務)政権擁立の方向で動いていました。そこで小泉さんは奇策に出た。党内での根回しを一切せず、数寄屋橋で田中眞紀子さんと2人で「自民党をぶっ壊す」と演説する姿をテレビで流させた。国民は「これだ!」と共鳴した。小泉さんはこれまでの政治とは違う政治力を用いて当選した。