2018年のNHK大河ドラマ『西郷どん』の主人公である西郷隆盛はなぜ自らが朝鮮に渡ることに固執し、「征韓論政変」を引き起こしたのか。これは、明治6年、西郷隆盛の朝鮮使節派遣を巡り新政府内で意見が対立し、西郷や板垣退助らの政府首脳と、軍人や官僚約600人が辞職・下野した件だ。そそこには西郷の体調が大きく影響している、と大阪経済大学客員教授の家近良樹氏は言う。西郷は肥満をはじめとするさまざまな疾病を抱えていた。その病を辿ると、従来の認識とは違った西郷像と政変が見えてくる。家近教授が解説する。
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「西郷どん」といえば、立派な体躯と類い稀な精神力から、豪放磊落な大人物を思い浮かべる人が多い。坂本龍馬が西郷と会った時の印象を勝海舟に語ったものとされる「少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く」という一節も従来の“偉大なる西郷像”に貢献している。
だが、残された書簡などから読み取れるのは「ストレス」による「体調不良」に苦しんだ人生である。
一般的なイメージとは異なるが、西郷は何事も理詰めで考える繊細な感性の持ち主であり、生真面目で融通のきかない堅物だった。配下への目配りや気配りもきめ細かく、例えば長州藩と幕府軍が激突した禁門の変の後、対策にあたって正確な情報が不可欠として、多数の薩摩藩士を長州藩などに派遣して情報収集をさせた。
また戊辰戦争では指揮官として最前線に立ちながら、日本史上初めて活躍した従軍看護婦や、臨時の人足、土工などの給金の支払いまで事細かに指図していた。一方で、人口に膾炙(かいしゃ)した「敬天愛人」のモットーとは裏腹に好悪の感情が強く、決して清濁併せ呑むタイプとは言えなかった。