2017年は日本映画界の鬼才・五社英雄監督の没後25年にあたる年。10月12日から京都で開催される「京都国際映画祭」では、五社監督の作品が特集上映されるが、彼はいかにして、修羅と官能の世界を作り出したのか。1987年公開の『吉原炎上』でヌードを披露し、世間を驚かせた仁支川峰子が、五社監督の思い出を語る。
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『あなたにあげる』という歌で歌手デビューしたのが16歳の時です。もともと女優志望だったこともあり、お芝居のお仕事もすぐにお受けするようになりました。五社監督との出会いは歌手デビュー直後、私の歌を聞いた監督が、「この子いいね」と雑誌のインタビュー企画に呼んでくださったんです。でも、まだ10代で緊張していて、何を話したのか覚えていません。
五社監督作品には3作出演させていただきました。最初は『陽暉楼』、25歳の頃だったかな。私、自分で言うのもあれだけど、監督の意向を察知するのが早いの。ここはこう撮りたいんだろうなって直感で理解できたんです。そういうところが気に入ってもらえたのか、『吉原炎上』と『肉体の門』にも呼んでいただきました。
『吉原炎上』では半裸で血を吐いたあとに「噛んで噛んで」ってせがむシーンがあるんですけど、これもテスト1回の本番1回。この時は芝居に没入しすぎて、役の人物が乗り移ったみたいになっちゃったんです。「カットOK」って声が聞こえたんですけど、半裸のまま放心して動けなくなったんです。すぐに監督が気付いてくれて、着ていたジャンパーを肩にかけてくれました。優しくてカッコイイ男ですよね。
週刊誌なんかには監督と「付き合っているのでは?」なんて書かれたこともありましたが、本当にご自分の娘さんのように可愛がってもらっただけでしたよ(笑い)。五社監督の作品でご一緒した方の中には、亡くなった方も多い。根津甚八さん、渡瀬恒彦さん、成田三樹夫さんもそう。きっと、みんな天国で監督と一緒にお酒でも飲みながら映画の話をしているんでしょうね。
【プロフィール】にしかわ・みねこ/1958年、福岡県生まれ。1973年に『第3回全日本歌謡コンテスト』で優勝、翌年デビュー。当時は西川峰子を名乗った。以降ドラマ、バラエティなど幅広く活躍。五社作品は『陽暉楼』『肉体の門』『吉原炎上』に出演。
※週刊ポスト2017年10月13・20日号