【著者に訊け】
野村克也さん/『私のプロ野球80年史』/小学館/1620円
【本の内容】
「野球が好きで好きで仕方ない」と語る野村さんが、〈私に残された時間も、そう多くはない〉と考え、〈経験したまま、見聞きしたまま、感じたまま、忌憚なき意見を率直に述べた〉集大成の一冊。「伝説の名選手」沢村栄治さんや、ラジオのプロ野球中継に夢中になった子供時代のことから、選手、監督時代のことまで、たっぷりと秘話が綴られている。プロ野球の将来を憂えた「おわりに」の「プロフェッショナルとは何か」も必読だ。
昭和10年生まれ。みずからの人生と、長さがほぼ重なるプロ野球の歴史を振り返った。
「これも何かの縁かな。やっぱり野球をやるために生まれてきたんだね」
幼くして父を戦争で失い、母は女手一つで野村さんたちきょうだいを育てた。野村少年は家計を助けようと、新聞広告で見た南海ホークスの入団テストを受け、みごと合格するが2年目にクビを宣告される。
「素質があるかないかプロにはわかる、おれたちの目を信用しろと言われても納得できない。『南海電車に飛び込みます』と食い下がったら『こんなしつこいやつは初めてや』とクビがつながった。3年目に一軍に上がったときは、『ざまあみやがれ』って思ったね」
若いのに、電鉄系球団幹部の急所を突くクレバーな発言だ。キャッチャーというポジションを通して培つちかわれた観察眼の持ち主は、野球の歴史を変えていく。今では当たり前の、投手の握りや癖で球種を予想することや、クイックモーションの必要性を認識させたのも、自分だという。
「結構、野球界に貢献してるんだけど、全然、貢献者として名前が出てこないよ(笑い)」
「ボヤキ節」は健在である。長嶋、王をヒマワリに、自分を月見草にたとえるなど、数々の「語録」も残してきた。
「野球選手は人気商売だけど、われわれの時はマスコミが巨人一辺倒でパ・リーグでいくらがんばっても相手にしてもらえない。選手時代から、マスコミが何を求め、喜ぶか、いつも頭を使った。監督の時は『今日は何を言ってやろう』と7回ぐらいから考えてたね」
自身の記憶に残るヒット作は、打たれても不思議と敗戦投手にならない田中将大選手について言った、「マー君、神の子、不思議な子」だそう。
野球のために生まれてきた野村さんだが、本では歌手や俳優をめざしたこともあると明かす。
「仲代達矢さんにその話をしたら『映画界の大損失ですね』と言ってくれて。私もしつこいから、『どういう俳優になってましたかね』と聞いたんですが、間髪入れずに『志村喬さんみたいな』。あれは本当にうれしかったね」
撮影/五十嵐美弥、取材・文/佐久間文子
※女性セブン2017年10月26日号