まだ女子アナという言葉がなかった1958年、今年6月に亡くなった女優の野際陽子がNHKに入社した。在籍期間はわずか4年と短かったが、朝のワイドショーの司会や1959年に発生した伊勢湾台風の現地レポートなど売れっ子アナとして世間に広く認知された。
これをきっかけにテレビ番組における「女子アナ」という存在が大きくなっていった。各局の女性アナウンサーたちはどのようにして今日のようなアイドル的な地位を確立していったのか。女子アナウォッチャーの丸山大次郎氏が解説する。
「野際さんの時代でいえば女性アナウンサーはキャリア女性の象徴で、高学歴で容姿端麗な女性が次々と採用されていました。“女子アナ”という呼び方の語源は諸説ありますが、1987年にフジテレビ出版より発行された女性アナ14人の発言集『アナ本』がきっかけではないかといわれています」(以下同)
1980年代に入ると、女子アナの「タレント化」が急速に進む。
「1987年にフジテレビに中井美穂アナが採用され、入社2年目で『プロ野球ニュース』を担当。それまでベテランアナが牽引してきた番組に、野球知識ゼロの彼女を起用し、新風を巻き起こしました。
監督や選手たちが彼女に特ダネを提供する事態にまで発展したほどです。そればかりか中井は月9ドラマ『同・級・生』にレギュラー出演し、女子アナのタレント化を決定づけた。さらに1988年、フジテレビに有賀さつきアナ、河野景子アナ、八木亜希子アナの“花の三人組”が入社したのも大きい。フジは彼女たちをまるで新人アイドルのように売り出しました」
1980年代後半から1990年代にかけて女子アナ=局の顔という構図が出来上がっていった。