“本来の意味”とは違う使われ方をしている格言は少なくない。明治初期に福澤諭吉が『学問のすゝめ』の冒頭に書き記した「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」の意味は、人間の平等を表わす言葉とされているが、その解釈は表面的すぎる。歴史研究家の井手窪剛氏が指摘する。
「福澤はその後に、“人は本来平等なはずなのに、貧富の差や身分の差があるのは何なのか”と説き、『賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり』と結びます。つまり、学問をやるかどうかで差が付くのだ、ということが言いたかったのです。
福澤自身、学問のおかげで下級武士の貧しさから脱することができた。彼が紹介したかったのはあくまで米国型の“機会の平等”という概念であって、むしろ学問によって差が付く“結果の不平等”は積極的に肯定しているのです」
聖徳太子の『十七条の憲法』にある「和を以て貴しとなす」も、誤解されがちな格言だ。『ざんねんな偉人伝』など歴史関係の著作が多くある真山知幸氏はこう説明する。
「『波風を立てるな』という意味で使われることが多いのですが、本来は、『意見が異なるのは当たり前だから、よく話し合え』という意味で、議論の大切さを説いています。飛鳥時代の政治改革において、“話し合う”という価値観が重要とされたのです」
武田信玄の「人は城、人は石垣、人は堀」は、「人を大切にしろ」という意味とされているが、前出・井手窪氏はそんな生ぬるいものではないとして、解説する。
「文字通りに捉えるべきです。信玄が国主になったとき、甲斐の国は財力が乏しく、立派な城がありませんでした。家臣たちの武力を城の代わりにしなければならないというリアルな事情として、『人は城』と言ったのです。“人を大切にする”どころか家臣を“人間の盾”扱いしたとさえ言えるでしょう」
※週刊ポスト2017年10月27日号