家々の手入れの行き届いた庭や、ベビーカーの母子が秋の陽だまりの中でくつろぐ小さな公園など、ほっとする風景に出会う。そんな平成の静かな住宅街、名古屋市北区大杉地区に、堂々とした昭和のいでたちで違和感なく溶け込んでいる一軒の酒屋がある。
昭和20年から70年の時を刻み、3代続く『加賀屋山本留三郎(とめさぶろう)商店』だ。
「店の歴史はそこそこ古いけれど、角打ちを始めたのは平成になってからで、まだ14~15年というところかな。酒に関係する古い欅(けやき)製看板とかポスターといったものは、先代が大事にしていてくれたおかげで、たくさんあってね。その道(昭和レトロ趣味)の愛好家たちの間では知られているらしい。でも、うちは角打ちテーブルがひとつあるだけで、それ以外には何もないんだよ。建物は当時のまんまで改装もしてないし、つまみになるものも一切置いてない。単に酒が安く飲めるだけ」と、主人の山本一嘉(かずよし)さん(56歳)。
そればかりか、表にあるはずの加賀屋の看板はどこをどう探してもみつからないし、コンクリートで固めた床は、“時のやすり”によってこすられ、たおやかな曲線を描いてすり減っている。
ところが、「これこそが角打ちの神髄である。角打ちを語るのは、この店で呑んでからにしよう」と、主人いわく「いささか大げさな話」が一度訪れた角打ちファンによってネットで紹介されると、一気に拡散した。
「つい先日も、熊本からだという人が来てさ。私らと一緒に飲んで、ああ来てよかった、酒がうまいし気持ちも満足と感激してくれましたよ。おかげでこっちも、いつもよりおいしい酒が飲めてうれしかったね」(50代、会社員)
今では、その道(角打ち)の愛好家たちもぽつりぽつりと全国からやって来るようになった。
「店の向かいにある公園に、我々が子どもの頃から富士山と呼んでよく遊んだ滑り台があるんですよ。そんな馴染んだ場所の近くにある酒屋だからさ、店で飲めたらいいなと思って、小学校の同級生でもある彼(店主・山本さん)に、店の中で飲ませろと迫った結果、この角打ちが始まったってわけ」(50代、食品会社営業)
レトロの看板やポスターの並ぶ中に、元同級生たちや仲間たちの手でテーブルが作られ、テレビやレンジが運び込まれ、何もないどころか、“絹の寝床のような”居心地のいい加賀屋角打ち劇場が完成した。