終の住みかが想定外の場所になっても、そこでいい人間関係を築き、楽しい空間にしていく努力をすれば、すばらしい最終地点になる。終の住みかを「どこで、誰と、どう生きる場所」にしたいか、イメージできるだろうか。“最期を迎える準備”を始めた先人の体験を取材した記者が人生最後の家選びについて綴る。今回取材したのは「ひとりで暮らす」「夫婦で暮らす」「子供と暮らす」、「友達と暮らす」など様々な形態だった。
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「どこで」より「誰と」の大切さを実感してしまったのは、個個セブン(兵庫県尼崎市で、女友達と近居をする、70~80代の7人グループ)の皆さんの“友達近居”が、あまりに印象的だったから。彼女たちが笑顔で語ってくれた、「最終的にホームに入るならエリアはどこでもいい。そこに友達がいることがいちばん大事」という一言がまた、心に刺さりました。
気兼ねなく一緒にいられる人ありきの生活が、いかに晩年の人生を豊かにするか、実感のこもった答えに、亡き母の晩年を重ねてしまいました。
記者の母は、68才で亡くなりました。生前、遠方でひとり暮らしをしていた母は、常々「娘や孫に囲まれた老後を送りたい」と話していました。幸か不幸か、亡くなる10か月前から、がん治療のために私たち娘の家の近くの病院に入院。病室ではあるものの、結果的に娘や孫と過ごせることに。
母は、見舞いで会うたびに笑顔を見せてくれ、入院中も医療スタッフや患者友達に、気遣いと感謝の言葉を忘れずにいました。病室を、わが家同然の温かい空間にしていたのです。
終の住みかが想定外の場所になっても、そこでいい人間関係を築き、楽しい空間にしていく努力をすれば、すばらしい最終地点になる、というのを、母が身をもって教えてくれた気がします。
そして、今回の取材を終え、先人たちの暮らしを見るにつけ、その教えは間違っていなかったと、実感できました。終の住みか探しは、快適な“居場所”を自ら作ることなのかもしれません。
「どこで生きる」よりも「どう生きる」かをまず考える。それが終の住みか探しの第一歩といえそうです。
※女性セブン2017年11月9日号