日本に45年ぶりのパンダブームが到来した。上野動物園で誕生したジャイアントパンダは、まだ一般公開されていないが、上野公園の周辺を歩くだけでも、その賑わいが伝わる。かつて最最寄り駅だった京成電鉄「博物館動物園駅」は、45年前のパンダブーム時には多くの乗客を集め、1990年代にはマンガ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』に登場してファンの訪問地になったこともあったが、乗降客減少と老朽化によって廃止された。第2次パンダブームで再評価されるのか。フリーライターの小川裕夫氏が、上野とパンダ、鉄道の繋がりをなぞりながら追いかけた。
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東京都恩賜上野動物園で昨年末にメスの赤ちゃんジャイアントパンダが誕生した。2008(平成20)年に上野からジャイアントパンダが姿を消したこともあっただけに、赤ちゃんパンダ”香香”(シャンシャン)の誕生は上野の街を大いに沸かせている。街を歩けば、いたるところにパンダのイラストが描かれ、ショップではパンダにあやかったグッズ・商品などが販売されている。
ジャイアントパンダが上野動物園にお目見えしたのは1972(昭和47)年だから、上野とジャイアントパンダの歴史はそれほど長くない。それでも一大ブームを巻き起こしたことで「パンダ=上野、上野=パンダ」というイメージが定着した。
そんなパンダの街・上野には、JR・東京メトロ・京成電鉄(京成)の三社が駅を構えている。歴史的な経緯を見ると、京成にとって上野は特別な駅であり街だった。
ターミナルの上野に、京成が駅を開業させたのは1933(昭和8)年。現在は京成上野駅を名乗っているが、開業当時の駅名は「上野公園」駅だった。
それまでの京成は、押上駅を起点に青砥駅を経由して成田(現・京成成田駅)までを結ぶ路線が本線になっていた。日暮里駅-上野公園駅間が開業したことで、上野公園駅が起点に切り替わった。
上野公園駅までの延伸工事は、京成が都心進出する悲願達成プロジェクトでもあった一方で、地表近くの地下3.3メートル地点を掘り進めるという制約や徳川将軍家の祈祷所・菩提寺である寛永寺の境内、図書館・美術館といった文化施設を避けるルートを取らなければならない点などから技術的にも困難が多かった。くわえて、上野公園は皇室の御料地でもあったから、京成側だけで自由にルートを決めることはできなかった。
上野までの延伸を果たした京成は、ターミナルとなる上野公園駅のみならず、上野の山にもうひとつ駅を開設している。それが、博物館動物園駅だ。
現在、廃駅になっている博物館動物園駅だが、京成はその駅舎デザインに相当な力をっ注いでいる。設計を担当したのは、鉄道省技師の中川俊次と寺田勇一の二人。わざわざ鉄道省の技師を起用したところからも、博物館動物園駅が単なる一私鉄の駅舎という存在ではなかったことが窺える。
実際、博物館動物園駅のデザインは、1936(昭和11)年に竣工する国会議事堂のモデルになったともいわれる。