オリンピック史上初の衛星生中継で世界中に映像が送られた、1964年の東京五輪。日本国内ではカラーテレビ放送が本格化し、選手の活躍が色鮮やかな映像でお茶の間に届く時代が到来した。以来、日本人を魅了し、ブームを巻き起こす海外女子選手が次々と登場。体操では「名花」と呼ばれる美女アスリートたちが美と技を競った。
東京五輪からリオデジャネイロ五輪まで撮影を続けているスポーツ写真家・岸本健氏は、最も記憶に残る選手の一人にチェコスロバキア(当時)のベラ・チャスラフスカを挙げる。
「1960年代の体操の採点では、優雅さが高く評価されました。東京五輪で優勝したチャスラフスカの演技は優雅で美しく、日本で爆発的な人気がありました。次のメキシコ五輪ではソ連のクチンスカヤも人気でしたが、ソ連軍がプラハに侵攻したチェコ事件の直後とあってチャスラフスカに同情が集まり、会場が“ベラ! ベラ!”という大声援で包まれたのを憶えています」
1970年代に入り、体操は優雅さから技術の時代を迎える。世界を驚かせたのが、ナディア・コマネチ(ルーマニア)が出した五輪史上初の10点満点。彼女は当時14歳。ジュニアの時代の到来を告げる存在でもあった。
「コマネチは別の意味でも印象的でした。笑っている写真は1000枚撮影したうちの1枚ぐらいというほど、笑顔をみせませんでした」(岸本氏)
当時は東西冷戦構造の中で、政治に翻弄される選手や指導者も多かった。コマネチの元コーチは1981年にアメリカに亡命。彼が指導したメアリー・ルー・レットンが1984年ロサンゼルス五輪で10点満点を連発し、金メダルに輝くドラマも生まれた。
※週刊ポスト2017年11月10日号