熊本県出身の立石一真氏(1900~1991)は1933年に立石電機製作所(オムロン)を設立し、社長・会長を歴任した。戦後、オートメーション機器のパイオニアとしてオムロンを急成長させ、自動改札機や現金自動支払機なども開発した立石氏は、自分の頭の中を「見える化」しようとしていた経営者である、と経営コンサルタントの大前研一氏は言う。立石氏の経営理念から、AI隆盛の現代にも通ずる発想について大前氏が解説する。
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立石さんは1960年に2億8000万円を投資して中央研究所を設立し、センサーが感知した信号をプロセッサーを介してアクチュエーター(※油圧や電動モーターによってエネルギーを物理的運動に変換する装置)につなげる技術で自動販売機や紙幣両替機、キャッシュディスペンサー(現金自動支払機)、ATM(現金自動預金支払機)などのオートメーション機能機器を次々に開発していった。
これらすべてを立石さんは「サイバネーション革命」と呼んでいたが、いま世界を席巻しているIoT(モノのインターネット)の技術や概念は、パケット通信網の中でセンサー、プロセッサー、アクチュエーターが無限につながっていくというだけの話である。立石さんは50年以上も前にIoTやIoE(*注)の本質を理解し、サイバー社会の到来を予見していたのである。
【*注:IoE(Internet of Everything)/「すべてのインターネット」と訳される。パソコンやスマホなどのIT機器にとどまらず、日用品など様々なモノがインターネットにつながり情報を送受信する仕組みをIoT(Internet of Things)と呼ぶが、IoEは、モノだけでなく施設やサービスなども含めた概念とされる】