浅草キッドの玉袋筋太郎は、西新宿で生まれ育ち、子供の頃から思い出横丁(俗称:しょんべん横丁)が遊び場だった。そんな玉袋に、横丁とともに育った思い出を語ってもらった。
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実家が西新宿1丁目だったからね。しょんべん横丁は庭みたいなもんだよ。思い出横丁? そんなふうに呼ぶ奴はひとりもいなかったな。俺らは「ション横」って言ってた。子供にとっては、いわばケモノ道だよね。みんな線路側の柳の下で立ちションするからくっせえし、ひどい酔っ払いもいっぱいいたけど、怖いと思ったことは一度もなかった。
ション横が遊び場だった。昔は当時の元禄寿司の裏に3畳ぐらいのゲームセンターがあってさ。友達と遊びに行って、1台しかないインベーダーゲームを交代でプレイするのが楽しかった。不良の先輩も近寄らないから、俺らにとってはそこがパラダイスだったんだよ。ゲームに飽きたら、“かめや”でそばを食ってから自転車で神宮球場に行ったりしてね。
その頃と比べたらずいぶん雰囲気も変わったよ。たくさんあった定食屋もほとんど消えちゃった。つるかめ食堂ぐらいじゃない?残ってんの。あそこのソイ丼は美味かった。パートのおばちゃんが同級生のお母さんだったんだよ。あの人、元気かなあ。
ション横一帯は平日は友達と遊ぶ場所、日曜は家族で食事に出かける場所だった。今はユニクロになってるあそこのビルは、当時、新宿西口会館といってレストランが入ってたからね。食事の後はペットショップで犬を見たりとかさ。いろいろと思い出してきたよ。懐かしいね(笑い)。
子供の頃からずっと嗅いできたくっせえ臭いは体の奥底に染み付いてるし、オネーちゃんを連れてきて嫌な顔をされたこともあったけど、ここは一番落ち着く場所。路地が細くて半身ですれ違う距離感もまたいいんだよな。今住んでいる所は違うけど、一日一度はこの近くを通らないと落ちつかねえもん。ここは一生卒業できない学校みたいなもんだよ。
※週刊ポスト2017年12月8日号