認知症の母(82才)の介護に奮闘する女性セブンのN記者(53才)。睡眠の大切さを知りつつも、自分も仕事柄不摂生をすることも。そんな中、母との関係性の中で睡眠の重要性を知る出来事が。
* * *
「パパが死んじゃったのよ」と、母(当時77才)から電話がきたのは日曜の夜8時過ぎ。5年前の12月のことだ。父とは数日前に電話で話し、元気な声を聞いていたので、父の安否より母が気が変になったかと心配に。務めて声を抑え、
「ママは今、どこから電話してるの?」
「どこって、家よ…」
「で、パパは今どこ?」
「う~ん病院かな。お昼ご飯食べてね、救急車でね…」
さっぱり要領を得ないが、大変なことが起きていると理解した。わが家で今まさに食べようとしていた鍋に蓋をし、なんとその鍋を携えて、家族全員で母宅へ向かった。家族も腹ペコだし、母に何か食べさせて落ち着かせなきゃと思ったのだ。
自分では妙案のつもりだったが、やはり動転していたのだろう。のちに娘が、「ママ、気が変になったかと思った」。
父は心筋梗塞で昼ごろ倒れ、救急搬送されていた。母ももちろん同乗したが、その後なぜか帰宅し、私に電話してくるまでの数時間の空白はいまだに謎のまま。そして父は昏睡状態ながらまだ生きていた。病院からの電話でやっと状況を把握したのだ。
「何やってんの!? パパ、生きてるじゃない!」と激怒する私。
「パパとね、どちらか先に死んだら、あの世から合図を送ろうって約束してたのに、何も来ないわね…」と母。
絶句するとともに、そこから私の“三日三晩の不眠不休”がスタートしたのだ。
主治医からはここ数日が山だと言われた。私はまず自宅に帰り、締め切りが迫っていた原稿を仕上げ、編集担当に送り、後を託した。メールを送ると夜が明けた。日曜の朝が明けてから24時間が経っていた。その日は母とともに病院に詰めた。父の病状が変化するたびにICUに呼ばれ、母は、「パパは死んじゃったんだっけ?」と、繰り返すだけ。