海外や他業界などをあげ、「○○では」と何かにつけて他者の例を引き合いに出して語る人のことを「出羽守(でわのかみ)」と呼ぶ。もちろん皮肉を込めた言い方だが、出羽守と揶揄され続けても、そういった発言を繰り返す人がSNSでは後を絶たない。ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が、出羽守と呼ばれようがやめられない“出羽守説法”の魅力について、考察した。
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日本共産党の前衆議院議員・池内さおり氏が、『フランスに行った時、女の裸や「媚びた」写真が公共空間に存在しないことに私は驚き、安全さを感じた』とツイートし、日本のコンビニに雑誌の「成人コーナー」が存在することを批判した。それに対し、フランスのキオスクに成人雑誌が堂々と売られていることや、胸も露わにした女性の裸が写った広告の写真を彼女に向けて提示し、フランスにも女の裸や「媚びた」写真が公共空間に存在しているとの反論が寄せられた。
こうした「○○では~」式の形で日本がいかに遅れているかを示す際に活用される国はフランス、ドイツ、オランダ、北欧、カナダ、オーストラリア、シンガポール、そしてオバマ時代のアメリカだが、基本的には「人権先進国」的文脈で使われる。こうした件について東南アジア、中東、南米、アフリカの国々は蚊帳の外になりがちなので、私もけっこうな頻度で行く「タイでは~」と「出羽守」になってタイの文化や風習から学んでもいいのでは? ということを書いてみる。
タイでは様々な面で寛容さがありつつも、明確な規律も存在する。我が国(これを書いてみたかった)も参考にすべきところがあるかもしれない。寛容さについてだが、バンコクの水上バスは濁った運河を猛スピードで駆けていく。となれば、水しぶきがかかってしまうが、座席の両端の乗客が吊り輪のついた紐を引っ張り、縮まった覆いを広げ乗客に水がかからないようにしてやるのだ。
料金を払うにあたっても、横長の席の中央に座る乗客が船の縁に立つ集金人に渡すには複数人の手を経、お釣りも彼らの手を経る必要がある。これが自然な行為として定着している。日本であれば、「人の手を煩わせてはいけない」的な雰囲気になり、そもそも手動ではない形の覆いを作ることや、ICカードの導入が要望されることだろう。しかしながら「お互い様」の精神がタイには根付いている。こうした行動を躊躇することなくできるタイの人々の温かさを見習いたいものである。