昭和天皇の崩御とともに訪れた29年前と違い、1年4か月後にやってくる平成の終わりと新時代の幕開けは、祝賀ムード一色に包まれるだろう。だが、侃々諤々の議論の果てに決まった退位日には、さまざまな思惑が渦巻いていた。一言でいえば、「国民不在」、「陛下不在」。その内幕をレポートする。
皇居・宮殿の「鳳凰の間」。天皇陛下と安倍晋三首相がテーブルを挟み、たった2人で向かい合う。話題は陛下の生前退位の日どりについて。安倍首相はなぜ「2019年4月末」がいいのかを滔々と「内奏(ないそう)」したという。
内奏とは、かつては「天皇に対する国政に関する内外の報告」で、現憲法下では「天皇の教養を高めるために、閣僚による所管事項の説明」がなされることをいう。今年に入って7回目だった11月21日の安倍首相による内奏を、陛下はどのようなお心持ちで聞かれていただろうか。
退位日がほぼ固まった。12月1日、「皇室会議」が宮内庁で開かれ、陛下が2019年4月30日に退位し、翌5月1日に皇太子さまの即位と改元を行うことでまとまった。12月8日にも閣議決定される。
会議のメンバーは10人。議長の安倍首相を中心に、衆参両院の議長や最高裁判所長官などのほか、宮内庁長官や皇族代表の常陸宮ご夫妻が車座になって顔を揃えた中に、“11人目の席”が用意されていたことは大きな波紋を呼んだ。
「今回、本来はメンバーでないはずの菅義偉官房長官が陪席しました。過去に宮内庁次長や東宮大夫が陪席したことはありましたが、席は壁際。メンバーの輪に加わるといったことはありませんでした」(皇室記者)
メンバーの楕円形のテーブルとは違い、菅官房長官の前に置かれたものは長方形。椅子の種類も変えられてはいたが、あるべき皇室会議の様相とは異なっていた。
「安倍首相側の意向で、わざわざ席が用意されたそうです。菅さんが退位の担当大臣であり、これまでも国会での説明や宮内庁との交渉をやってきたというのがその理由だと説明されました。もちろん、“説明役を入れてはいけない”とは定められていないので、法律違反ではありません。しかし、25年ぶりに開かれた高尚な場である皇室会議に、官邸の一存で官房長官を送り込んだことには違和感を覚えます」(前出・皇室記者)