親が介護を必要とする頃には、子世代の方も結構大変だ。仕事は超繁忙期、子育ても過渡期。そして更年期も到来する。だるい、眠れないなど絶不調のピークだ。怖いのは、不調に慣れ、体のSOSを見過ごすこと。介護を含め様々な責任を担うために、倒れるわけにはいかない。そんな境遇を味わったN記者(54才・女性)が、自身の苦労を振り返る。
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認知症と診断され、母が要介護状態になったとき、母は78才、私は49才だった。私はまさに更年期のど真ん中。つねにだるい。だるいというのは厄介で、医者に駆け込んで訴えるほどでもないが、市販薬や生活改善などセルフケアを行おうという気力もなく、結局だるいままなのだ。
そしてひとり娘は当時、中学2年生。のんびり屋の娘が受験という人生初の闘いを前に、崖っぷちで共闘する心境だった。担任教師や塾の講師の言葉には娘以上に動揺し、怒りと祈りの繰り返し。気の休まるときがなく、夜眠れないこともよくあった。取材や原稿書きに追われながら合間に家事を回していく20年来の生活が、心底つらく感じるようになっていた。
そんな時に始まった母の介護。私は父の葬儀や相続、母の生活関連の手続きなどに追われ、独居になった母は昼夜問わず電話があり、私がお金を盗ったとなじる。認知症とわかっていても、母との心の距離はどんどん離れていった。
日常では娘の高校教師、母の主治医、スーパーの店員の言動にまで激しく苛立ち、「血管が切れそうだーッ!」と叫んでは落ち込み、家族と口をきかない日もよくあった。
そんな状態が1年近く続いたある日。母の通院につき添い、待合室で待っていると、「あなた、Mさん(母)の娘さんよね?」と、不意に声をかけられた。驚いて見上げると同じ病院の女医さんだった。
「ちょっと失礼、診せてね」と、私の手を取り、裏表に見て、いきなり私の目の下をあっかんベーした。
「お母さんを家に送ったらすぐ、あなたの地元のお医者さんで貧血の検査をしてもらいなさい。いい? すぐよ」
貧血には心当たりがあった。若いころから貧血気味で、40代になってからはときどき薬の処方も受けていた。それでも貧血の症状は忙しいと自分でも気づかない。長年の持病なのにすっかり忘れていた。
女医さんと私のやりとりを母が見ていたようだった。
「Nちゃん病気なの?」と、私の額に手を当てた。母が私を労いたわるのは久しぶりのことだ。私は恥ずかしくて、「あたしも更年期だからね」。すると正気の目をした母が、「すぐにお医者に行きなさい。ママはひとりでも大丈夫よ」と言ってくれた。嬉しかった。
母を送ったその足でかかりつけの病院に直行。検査をするとかなり深刻な貧血だった。
「よくここまで歩いて来られたわね…という数値よ。のみ薬では間に合わないので、点滴治療します」と、私のかかりつけの女医さん。
それから週2回、約30分の点滴治療が始まった。ベッドに横になると何とも心地よく、冷たい点滴が血管に入ると体が修復されていくようで気持ちも上向いた。そして目を閉じる30分の間、私を心配し、厳しくもやさしい声をかけてくれた女医さん2人と母が順に浮かんで来て、何度も泣きそうになった。
おかげで1か月半後にはすっかり元気になり、またいつもの母との伴走に戻った。
※女性セブン2017年12月21日号