かつて「平成のスター経営者」と謳われ、最近は「名門崩壊を導いた戦犯」と指弾されていた第15代東芝社長・西田厚聰氏(社長在任2005~2009年)が12月8日、急性心筋梗塞で亡くなった。享年73。約2か月前の10月5日、ジャーナリスト・児玉博氏は、西田氏の自宅で3時間半に及ぶインタビューを行い、その肉声をもとに企業崩壊ドキュメント『テヘランからきた男 西田厚聰と東芝崩壊』(小学館)を上梓した。西田氏の「遺言」とも言えるインタビューである。最後に西田氏が訴えたかったこととは何だったのか。児玉氏による緊急寄稿をお届けする。
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にこやかな笑みをたたえてはいたが、紙のように白々とした顔色は、かつての西田のそれとはほど遠かった。
「まだ腰が痛いので……」
こう断った西田は、やや身体を投げ出すようにリビングのソファに腰掛けた。西田は、つい先日まで、大井町にある東芝病院に3か月も入院していた。
不正会計問題を端緒とした東芝経営問題の責任を問われ、2015年、追われるように会社を離れた西田氏は、その後、学生時代さながら書物に親しむ日々を過ごしていた。しかし異変が現れた。
「最初は、黄疸から始まりました。原因を調べると、胆管が詰まって、胆汁が胆管から十二指腸に届いていないことがわかりました」
検査の末に、胆管癌を患っていることが判明した。今年6月、9時間にも及ぶ大手術に踏み切った。
「まず胆管を全部取り払ってしまう。次に、胆管は十二指腸につながっていますから、そこも悪さしてるかもしれない。だから十二指腸も全部取っちゃいましょう、となった。膵臓(すいぞう)も十二指腸とくっついています。だからこの膵臓の先っぽも、十二指腸とくっついている部分だけ切除したんです」
西田によれば、このように十二指腸をすべて除去した上で、小腸と胃や膵臓、肝臓を結びつける手術を行ったという。直接の死因となった心筋梗塞とどのような関係を持つのかわからないが、かつての西田を知っていただけに、その衰えぶりは、痛々しいほどだった。
◆イラン人女性を追ってテヘランへ
異色の経歴を歩んだ男だった。およそ半世紀前、東大大学院で西洋政治思想史を学んでいた西田は、国費留学生として東大にやってきていたイラン人と恋に落ちる。彼女を追う格好で、学問を捨ててテヘランに辿り着く。東芝の合弁会社に現地採用されると頭角を現し、その後、欧米でノートパソコンを売り歩くや、東芝再興をなし遂げた。