小学校の学級会から国会議員による法律審議に至るまで、物ごとを決めるには多数決が正しい方法だと信じられているが、本当にそれで正しい選択ができるのだろうか。ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が、どんな専門性の高い問題についても、素人も含めた多数決で決めるのが正しいという世の中の風潮に異論を投げかける。
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東京五輪・パラのマスコット候補が3つに絞られ、来年2月22日まで行なわれる全国の小学生による投票で決定する。東京大会についてはエンブレムに始まりスタジアム、ボランティアの制服に批判が寄せられ、いずれも撤回された。今回も早速マスコット候補に「ポケモン、デジモン、妖怪ウォッチのジバニャン、ポンタカードのポンタに似ている」、とパクリを指摘する声が上がっている。
エンブレムの時のようにさすがに撤回させるという動きは盛り上がっておらず、このまま決まるだろうが、「とりあえず他の応募作品も見せろと言いたい 多分、まともなのも結構あるんじゃないかな」など、候補作に納得いかないという意見がネット上に多い。
いつから我々は公共的なことであれば何でもかんでも選考過程をガラス張りにするよう要求するのが当たり前、というメンタリティを獲得したのか。しかも、投票をしなくては公正性を保てないという空気も今や普通だ。税金を払っているのだから当然、ということはあるが、ある程度はその分野の専門家に委ねても良いのでは。
そもそも、ロゴやキャラなんてものは最初は違和感があるものの、いつしか慣れてしまい、どうでもよくなるもの。私は1993年に富士銀行の口座を開設したが、同行は興銀と第一勧銀と合併し2002年4月1日、一斉にみずほ銀行となった。
「『みずほ』ってダセぇ。なんだよこのひらがなの名前……」とイライラしたが、1週間もすればすっかり慣れてしまった。2015年に撤回された五輪エンブレムがもしもあのまま採用されていたとしても、2年以上が経過した今、街中やCMで見ても何とも思わないのではなかろうか。