お寺で行う婚活「吉縁会」に、独身男女が殺到している。2010年の発足以来、静岡の本部に加え、東京、名古屋、岐阜、大分、仙台のお寺(臨済宗妙心寺派)で婚活の会が開催されてきた。発起人は、静岡県浜松市にある龍雲寺の副住職、木宮行志(きみや・こうし)さん。なぜ、結婚したくてもできない人が増えているのか。なぜ、お寺が婚活をするのか。「普通の僧侶より、独身者にまみれています」と話す木宮さんに、“結婚”をめぐる困難な現状と、結婚と幸せについて伺った。(【前編】【後編】2回に分けてお届けします)
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◆私たちは試されている
──「吉縁会」を始めて7年。婚活をめぐる状況を、どう感じていらっしゃいますか?
木宮:まず、私たちの婚活の会に集まった人にお話するのは、「今日は相手を選ばないでください」ということです。婚活に集まる人たちは、相手を「選ぼう」という意識でやってくる。そうすると、必然的に、人を条件で見るようになるんですね。外見や年齢、会社名や年収、そういった目に見える表面的なものばかりを見ようとする。だから、まずは選ぶのをやめてくださいと言うのです。
ではどうするのか。選ぶのではなく、「出会った人と幸せになる」のです。結婚には、そういう心のあり方が大事だということを、伝えています。
──とはいえ、「出会いがない」という声が多く聞かれます。
木宮:みなさん、そう仰る。不思議なのは、出会いの場と、そうでない場を、くっきり分けている人がいることですね。婚活は出会いの場だけど、職場は違う、とか。極端な話、コンビニでだって、出会おうと思えば、出会えるんです。そのためには、店員と客ではなく、「人と人」として出会う気持ちが大事ですね。出会うの「出」には、家から出るとか、合コンへ出るという意味だけでなく、自分の心から出ていく、相手に近づいていくという意味があります。整った出会いを待っていては、いつまでたっても出会いはありません。
──そもそも、出会いの縁というのは、ある人もいれば、ない人もいるのでしょうか?
木宮:仏教では「縁起」というように、縁は自ら起こしていくものです。そして、その起こした縁を、よりよいものにしていくことが何より大切ですね。最初からいい縁と悪い縁があるのではありません。これは、「この人と結婚したら絶対に幸せになれる」という人がいないのと同じです。誰と結婚したって幸せになれるし、誰と結婚したって不幸になれるんです。