1950年代初めまで、アメリカ映画界は暗黒の時代だった。1934年に導入された検閲制度「ヘイズ・コード」が目を光らせ、胸を映すことさえ禁じられていたからだ。同じ時期、日本の男たちの頭の中は、ヨーロッパの金髪女優の艶めかしい姿態で一杯だった。映画評論家・秋本鉄次氏が振り返る。
「戦後の日本男児にとって、圧倒的な肉体美のパツキン女優は自分たちと同じ生物とは思えないほど美しく、憧憬を募らせる存在でした。当時の代表的な女優は2人。頭文字から“BB”と呼ばれ、逞し過ぎるお尻を持ったフランス人ブリジット・バルドー。そして、弾力感溢れる太ももと、キュッと締まった足首が特徴で、“究極の凹凸”を体現したイタリア人ジーナ・ロロブリジーダです」
1952年、『ビキニの裸女』でバルドーが肩紐のない水着で世界の度肝を抜き、『夜ごとの美女』でロロブリジーダは“ヘソ出しルック”を披露した。ビキニ自体が認知されていない時代、衝撃的なその姿に日本男児は狂気乱舞した。
ヨーロッパ映画界のセクシー攻勢が動かしたのか、アメリカでも50年代半ばから風向きが変わった。嚆矢となったのが、“稀代のセックスシンボル”マリリン・モンローだった。1953年、深紅のベルベットの上で体をくねらせる全裸のモンローが雑誌『PLAYBOY』創刊号を飾り、大きな話題となった。
「所属の20世紀フォックスから『茶髪をもっと派手なブロンドにすれば個性が輝く』と助言を受け、金髪に染めると瞬く間に人気が急上昇しました」(秋本氏)
※週刊ポスト2018年1月12・19日号