「闘将」「燃える男」──。すい臓がんを患って1月4日に死去した星野仙一氏(享年70)は、鉄拳制裁を辞さない一方、選手から慕われる一面もある“情の人”という印象が強い。追悼報道でも判で押したように同じようなフレーズが並んだ。だが、本当に近しい人から見ると、その印象は少し違っていたようだ。
星野氏は強かな戦略を持った“理の人”でもあったと語るのは、2003年に星野氏が監督として阪神を18年ぶりのリーグ優勝に導いた時の球団社長・野崎勝義氏だ。
「当時、球団内で誰も意見できなかった久万(俊二郎)オーナーに対して、星野さんは2001年オフの就任早々、面と向かって『17年間もリーグ優勝できなかったのは久万さんが悪い』と直言したのです。
星野さんは優勝するには大型補強が必要だということを理解していて、オーナーに電鉄本社の金庫を開けさせるために、あえて直言する戦略を取ったのでしょう。さらに『優勝するにはペタジーニ、金本知憲、中村紀洋の3人が全員必要』と主張して、結果的に広島から金本を獲得。就任2年目でリーグ優勝を果たしてみせた。こんな芸当は星野さんにしかできなかったと思います」
星野氏は中日監督就任直後の1986年オフにも、ロッテからトレードで落合博満を獲得する大胆なトレードを球団に決断させている。野崎氏が続ける。
「監督には与えられた戦力で上手くやり繰りしていくタイプと、編成の視点も兼ねて戦略的にチーム強化に乗り出すタイプがあると思いますが、阪神で星野さんの前任者だった野村克也さんが前者で、星野さんは後者。この2人の名監督の時代に球団社長をやらせてもらいましたが、本当に対照的でした。星野さんは、時間をかけずに一気にチームを押し上げる戦略に長けていた。二人三脚で改革をできて感謝の言葉しかありません」
“情”と“理”を兼ね備えた名将の死は、あまりに早過ぎた。
※週刊ポスト2018年1月26日号