戦後の混乱から高度経済成長を経て、バブル景気で頂点を極めた激動の時代の中で、様々な商品やサービスが次々と生まれ、国民の消費意欲を大いに喚起した。そんな昭和の時代の広告ポスターには、数々の名女優が登場していた。そうした中、1976年、資生堂の秋のキャンペーンで抜擢されたのは真行寺君枝だ。当時は無名の高校2年生。本人が、その時の思い出を振り返る。
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資生堂の秋のキャンペーンのオーディションに合格した1976年、私はまだ高校2年生でした。モデルの仕事を始めて間もない時期で、撮影テストや面接など、選考に半年以上かかりました。
起用が決まった時、とっても嬉しかったです。モデルを目指す新人にとって、資生堂の広告に出るのは夢であり最高のステイタスでした。才能豊かなトップクリエイターの方々と時代の最先端を走る現場を味わえるのですから、高校生ながら期待に胸が膨らみました。
このポスターは、静岡県浜松市に地上5メートル以上のセットを組み上げ、2週間かけて撮影しました。驚いたのは、それは見本を作るためだけの撮影で、後日同じことをもう一度したことです。1枚のポスターに賭ける情熱、これがプロの仕事なのかと深く感動したのを覚えています。