認知症と診断された母(83才)が乗り越えなければならなかった大きな壁の1つが、愛犬“モモちゃん”との別れだ、とN記者(54才)は語る。その後の生活を考え、母も納得した上での苦渋の選択ではあったが、家族としても今なお、ズキンと心が痛むという。
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「もう、モモちゃんをお店に返そうかしら…」
父が逝って約1年後の2014年、母(当時79才)の混乱はピークに達していた。
部屋はゴミ屋敷寸前。愛犬モモが遊んで物は散乱し、尿がにおう。それでも毎日の散歩は欠かさず、界隈で“モモちゃんのおばさん”と呼ばれると、うれしそうだった。
モモとの出会いはこの3年前。両親の買い物につきあって行ったホームセンター内のペットショップに、生後1か月のマルチーズがいた。愛想なく眠気まなこの子犬に目を留めたのは母。長い団地住まいでペットは飼えなかったが、昔はよく見かけた野良犬に好かれ、自分は犬と心が通じ合うのだとよく言っていた。そういえば母は戌年生まれだ。
「この子を飼いたいわ」と母が言うと、父は即、賛同。このとき一瞬、不安がよぎった。
当時、まだ確信はなかったが、両親はたぶん認知症だ。犬など飼って、果たしてこの先、面倒が見られるのか…。が、ウキウキと幸せそうな両親の姿に、その不安もまた、一瞬で掻き消された。
“モモ”と名づけられ、家族に加わった。父はカメラで成長を追い、母はかいがいしく世話を焼いた。一緒に旅行もし、犬が楽しそうな表情をするのも初めて見た。離れて暮らす私にとってもモモは家族同然となり、だーい好きだった。
だが、不安は現実となった。「モモを手放す」と母が言い出したのは意外だった。健脚とはいえ、元気な子犬の散歩はきつかったのか、混乱したときにまとわりつかれるのが煩わしかったのか。
ともかく店に返すわけにはいかない。私の家でも飼えない。当時探していた母の新居に連れて行けば母の生活は犬に縛られ、トラブルは必至。始末はすべて私の責任となり、きっと寛容ではいられない。母を最期まで支えるため、これ以上楽観はできなかった。
友人にも依頼しつつ、インターネットで里親探しを始めた。高齢者が飼えなくなったペット悲話が溢れ、後ろめたさに胸が締めつけられた。最初の里親候補一家とのお見合いには、母も同行した。母はよそいきのブラウスとネックレスで着飾っていた。
「モモちゃんはとてもいい子なんです。よろしくお願いいたします」と、仰々しく挨拶。「わかっているんだ…」と、安堵と悲しみが胸を衝いた。
2週間ほどお試しでお見合い先に預けてみたが、先住犬と相性が悪く失敗。その後何組かとやりとりし、これはと思う家族に再見合い先を決めた。「決まる」と直感したため、母を連れていくのをやめた。
話だけはしたが、母は言葉少なに無関心を装った。あるいはボケたふりだったか。直感通り、お見合いは成功。先方にもマルチーズがいて飼育歴10年のベテラン。私と同年代の夫妻で安心した。あれから3年、記憶障害もさらに進行中の母だが、今も会うたび私にこう聞く。
「ところで、モモちゃんはどこに行ったんだっけ?」
※女性セブン2018年2月8日号