平昌五輪開幕で盛り上がっている中、かつて白銀の舞台で活躍した選手たちを思い起こす──中でも印象深いのは、競技以外でも世間を騒がせた“記録よりも記憶に残る”選手たちだ。
ウインタースポーツは総じて競技の裾野が狭く、ニュースで取り上げられる期間も限られる。そのため、一線を退いた選手たちの“その後”が伝えられることは少ない。
“日本初の冬季五輪金メダル”を獲得するも、後に紛失騒動に巻き込まれたのは、1972年の札幌五輪“日の丸飛行隊”の中央に立ったスキー・ジャンプの笠谷幸生(74)。
紛失したのはメダルを寄贈された故郷・北海道仁木町の山村開発センター内にある郷土資料室だった。同センターにある「笠谷幸生選手展示コーナー」で、いつの間にか金メダルだけが写真パネルに差し替わっていた。
地元紙記者が調べたところ、なんと教育委員会の教育長の机の引き出しに無造作に放り込まれていたことが判明。その後は、「金庫で厳重に保管しています」(教育委員会担当者)とのこと。同センターではこの2月に五輪特別展を開催し、金メダルの展示も行なっている。
ちなみに「笠谷さんは現在も道内で静かに老後を過ごしていらっしゃいます」(同前)とのことだった。
※週刊ポスト2018年2月16・23日号