つらいとき、疲れて気力も尽きたとき、元気を取り戻す特効薬は“笑い”だ。83才の認知症の母を介護するN記者(54才・女性)は奮闘する中でそう気付いたという。
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針仕事をコツコツこなす紳士服の職人で読書好き。人づきあいもよく朗らかだが、笑うときは必ず口元に手を当てる。家の中も生き方も“きちんとする”のが身上。若い頃の母はそんな人だった。
それだけに、父が急死した後の母の激変ぶりには驚愕した。散らかり放題の家の中で、私が母のお金を盗ったとなじる鬼のような表情も、突然黙り込み、話しかけても反応さえしない無表情も、私の知っている母とはまったくの別人。認知症だから…と頭では理解していても、心が目の前の母を意地悪に警戒しているのが、自分でもわかった。
そして若くてイキイキした両親と無邪気な自分の姿ばかり自虐的に思い出しては、「もう、あの母は戻らないのだな…」と嘆いていた。どんよりした頭の中にふと、遠い昔の一場面がよみがえった。
私は中学1年生。父の転勤で大阪に移り住んだのだが、学校や近所でも“東京モノ”と距離を置かれ、そこへ来て父が病気になり、半年も休職して自宅療養。母がパートに出て家族を支えるような事態になった。家の中は暗雲が立ち込め、変な緊張感が漂っていた。そんなある日、母がなにを思ったか、笑い袋を買ってきたのだ。たしかピエロの絵柄の黄色い巾着袋で、スイッチを押すと延々と笑い声が流れる。
食卓に笑い袋を置いて3人で囲み、おもむろに母がスイッチを押した。深刻な事情を抱えた家族がそうしていること自体おかしいのだが、突如笑い出した袋の声が妙に大きく、無理やり横隔膜をつかまれて震わされるような衝撃が走った。気づくと父も母も私も大爆笑。お腹がよじれるほど笑った。
笑い終わるとなんのことはない。しかし、妙な緊張感はかき消されていた。あのときの母のドヤ顔。私は子供心に、母の魔術的な技に心底感服し、その後も人生のところどころで、この場面を思い出すのだ。
あの時のように母を笑わせたいと思い、母の好きな落語にも頻繁に誘った。熱心に聞き入って笑うことはあったが、かつて母が教示した、苦境を吹き飛ばすほどの効用としては足りない感じがあった。
そして思案の末、綾小路きみまろのライブチケットを取った。昔の母の嗜好を考えると少々不安もあったが、当たって砕けろと開き直った。ライブ会場は噂どおり、シニアのおばさまがたで満席。お連れのご主人や私のような若輩者は圧倒されまくりだ。
いよいよ、きみまろ登場! スポットライトを浴びた派手な燕尾服姿で「中高年のみなさま、あれから40年…」
いきなり大きな笑いの渦。空気も膨張するような勢いだ。母をチラッと見ると、なんと口に手を当てることもなく、大口を開けて笑っている! 私も引きずられるように笑い転げた。大笑いすると体中が気持ちよく、もっと笑い、もっと前向きに生きたくなる。みんなで笑う。この圧力も笑いの波に加速度を与えているようだ。奇しくもあれから40年…。そんな感慨に浸る間もなく、ただただ、おもしろかった。これでいいのだ!
※女性セブン2018年2月22日号