83才の認知症の母を介護することになった、54才ひとりっ子のN記者(女性)。今回は、更年期症状が出ている中で介護を続けた経験を語る。
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いろいろな面で弱くなっていく親。いざ“介護”となった時、引き受ける子世代が、肉体的にも精神的にも万全なのが理想だ。
でも実際にはそうはいかない。親の介護が始まったときの子世代の年齢が平均50.9才という調査があるが、かくいう私も49才のときに父が急死し、認知症の母が独居になって要介護と認定された。
50才といえば日本人女性の閉経の平均年齢だ。閉経前後10年間を更年期といい、さまざまな体の変調が表れるが、私にも兆候があった。さらに公立中学に通う娘が、受験という人生初試練を前にし、家中に重い緊張感が漂っていた。
更年期症状はかなり個人差があるといわれるが、私の場合はイライラ感がメイン。無用な営業電話に、コンビニ店員や宅配便の配達員の無作法な態度に、いちいち鳥肌を立てて怒り、娘や塾の講師のふと緩んだ表情を目ざとく見つけては激怒。何をしても何を見ても、思いがけない亀裂から噴火する感じで、われながら「異常だ」と思うほどだった。
そこへ来て認知症の母の奇行だ。冷蔵庫の大量の腐った食品、新品を届けても届けても着続ける汚れた服、そして「あたしのお金を盗ったわね。警察を呼んだから」と、延々繰り返されるお約束のセリフ。
何もかも認知症のせい。本来の母ではないのだと、重々承知しているのに頭の別のところに火がついて、母と腐った肉を奪い合い、汚れた服をこれ見よがしにゴミ箱に捨て、「本当に警察に電話してみなさいよ! 困るのはママよ」と、ドロドロの悪態をついた。
怒りのエネルギーは伝播するようで、母も気が変になったように怒った。わめきながら母がゴミ箱を漁あさる姿が悲しくて、新たな怒りが再燃した。母の家からの帰り道はいつもゲッソリ。激怒の後に追いかけて来る悲しみは、底なし沼のように絶望的だということを、この年で初めて知った。
こうして思い出すと当時の私は思い切り不本意な“怒り”に翻弄されていた感じだが、更年期のことも認知症のことも記者として取材し、よく知っているつもりだった。それでもこのザマかということもできるが、どこかで歯止めになり、なんとかその場をやり過ごせたようにも思う。
そして取材した更年期経験者たちにならい、周囲に更年期を宣言し、苦しいと騒いだことも自分を救った気がする。
「ママは更年期のため爆発しやすくなっているので注意」と、機嫌のよいときに言っておくと、よい距離感を家族の方から作ってくれた。
家で激怒し、われを忘れて、心臓の鼓動を地震と勘違いして大慌てしたことがあったが、「ママの動悸じゃない? 更年期だからさ~」と、娘が上手に笑い飛ばしてくれて、顔は怒ったまま内心、感謝した。
母とのバトルも、ケアマネさんらが“介護初心者あるある”として聞き、フォローしてくれたことで、かろうじて母とつながっていられた。
怒りは止められないが、最後のアクセルを踏み切らずにすめば、なんとか先に進める。それもこの時期に学んだ気がする。人生後半にしかけられた試練を1つ越え、ドタバタの伴走介護はまだまだ続く。
※女性セブン2018年3月1日号