どんなスポーツにも「ルール」が存在し、競技そのものが定義づけられる。選手たちはルールを前提に鍛練を重ね、競い合う。ところが時に、“前提”としていたルールが変わることがある。それによって大番狂わせが起き、悲劇のドラマも生まれてきた。たとえば、1990年代前半、W杯3季連続総合王者となった萩原健司氏を中心に、ノルディック複合で日本は世界で最も強い国だったが、度重なるルール変更によって1998年長野五輪では団体5位に沈んだ。ルール変更は他の競技でもあった。ノンフィクションライターの柳川悠二氏がレポートする。
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ルール改正を機に低迷期に入ったのはスキーのジャンプも同様だ。船木和喜がラージヒルと団体で金メダルを獲得した長野五輪の翌1999年、スキー板の長さが「身長×146%」と規定され、小柄な日本人は長いスキー板を履けなくなった。さらに、スーツのゆとり幅も制限されるようになった。板の長さやスーツのだぶつきは、ジャンプ中に浮力を得る上で重要な要素である。
複合同様に“お家芸潰し”のルール改正という見方がされてきたが、これに異論を唱えるのが最大の被害者と目されてきた船木本人だ。彼は42歳となった今も現役のジャンパーである。
「長野以前もヘルメットの形や大きさ、スキー板の厚さや重さまで、色々なルール変更があった。その理由は、技術が進化し、飛距離が伸びて危険度が増したことにあります。道具を規制することで飛びすぎを防ぐんです。長野五輪以降、確かに日本は成績が落ち込んだ。それをメディアの方々がルールのせいにしてくれた。それは僕らにとって救いではありましたが、僕らが新しいルールに対応できなかっただけなんです」