1990年のW杯イタリア大会で、リードするアイルランドのGKが試合終盤に味方とのパス交換を計6分間も繰り返す“事件”が起きた。それをきっかけに1992年に導入されたのが、味方が意図的にGKへパスした際に、GKがボールを手や腕で触れてはいけない「バックパス禁止」だ。試合終盤の露骨な時間稼ぎが減少した。このように、スポーツのルールは次々に変わるものなのだ。
1990年代後半のカラー柔道着導入以降、五輪の度にルールが変更され、なかなか組み合わない変則的な「JUDO」に日本選手が苦杯を舐める場面も増えた。
そこに改革を仕掛けたのが、2007年に国際柔道連盟の会長に就任したマリウス・ビゼールだ。就任直後に彼を取材した時、テレビ映えする柔道への移行を強く訴えていた。その後は、「一本」決着が促進され、2013年には寝技以外で相手の下半身に触れることが禁止になって、タックルのような技が許されなくなった。
昨年廃止になった「合わせ技一本」が今年になって復活するなど、ルールはまだまだ改善の余地を残すが、積極的に組み合い、美しい「一本」を常に狙う嘉納治五郎が創始した日本の柔道に立ち返ろうとする動きだ。こうした新時代の申し子が、昨年の世界選手権で優勝した男子66kg級の阿部一二三と、妹の詩(女子52kg級)だ。ともに背負い投げを得意とし、一本決着で柔道母国のファンを魅了している。
1996年アトランタ五輪に日本選手団最年少(14歳)で出場した競泳の青山綾理は、1998年の世界水泳バタフライ200メートルで水中を30メートル以上潜行する「水中ドルフィンキック」で2位に輝き、日本新記録を樹立した。だが、大会後に潜水距離が15メートルに制限されたことで低迷。2000年シドニー五輪代表を逃した彼女は、大学卒業後、新聞記者に転身した。
●文/柳川悠二(ノンフィクションライター)
※週刊ポスト2018年3月2日号