バレーボールでは、サーブ権を持つチームがラリーに勝った時にのみ得点が入る「サイドアウト制」から、サーブ権に関係なく得点が入る「ラリーポイント制」への変更が1999年にあり、“粘って守り勝つバレー”から、“リスクを負ってでも攻撃的な戦い方をするスタイル”に変わっていった。
全日本女子は直後の2000年、シドニー五輪の世界最終予選で、史上初めて五輪出場を逃す。時間差攻撃や回転レシーブなどを生み出し、世界の最先端をいった日本のお家芸が低迷期を迎えた時期とラリーポイント制の導入はピタリと重なる。
しかし、全日本女子前監督(2008~2016年)の眞鍋政義氏はその見立てを否定した。
「当時は私も現役でしたが、ラリーポイントは番狂わせが起こりやすく、体格や身体能力で劣る日本にはかえって有利に働いたように思います。試合時間が短縮され、選手の負担も少なくなった。川合俊一さんは『ラリーポイント制の時代だったら、あと10年は現役を続けられた』と話しているぐらいです(笑)」
むしろ日本にとって不利に働いたルール改正は、1976年のモントリオール五輪以降、ブロック時のワンタッチが、ボールに触れられる3回に含まれなくなったことだという。
「過去、日本の男女が五輪で獲得した3つの金メダルは、いずれもワンタッチを1回に数えていた時代です。そのルールでは、ワンタッチ後、すぐにトスを上げなければスパイクが打てない。これは高度な技術が要求され、日本が得意としていた。ワンタッチを1回に数えず、レシーブをしっかりして、セッターが安定してトスを上げられるルールでは、背の高い外国人選手の方が圧倒的に有利ですよね」
●文/柳川悠二(ノンフィクションライター)
※週刊ポスト2018年3月2日号