作家の佐藤優氏と思想史研究家の片山杜秀氏が「平成史」を語り合うシリーズ。今回は、東日本大震災以降、政権によって起きた変化について語り合った。
佐藤:2011年は平成史、いや日本現代史の分岐点と言える3.11が起きた年です。
片山:菅内閣の危機対応をどう評価されていますか?
佐藤:私は、あの状況下でよくやったのではないかと評価しています。また大いなる逆説でもあるのですが、もしも自民党政権だったらオールジャパンで協力していく体制は作れなかった。民主党が野党なら自民党政権が続けた原発政策の非難に終始したでしょう。政争にエネルギーを割いたはず。ところが、政権交代で攻守が逆転していた。原発を推進してきた負い目から自民党は民主政権を攻撃できない。だから菅内閣は事故対応に力を注げた。
片山:菅さんは「イラカン」なんて揶揄されましたが、3.11を1945年の8月15日以来の非常事態だと認識していた。だからこそ原発に足を運んだのでしょう。やり過ぎだという批判も分かりますが、それだけ危機感を持ち、危機対応にあたったということもできる。
佐藤:また枝野官房長官のもと情報の一元管理もできていた。マスメディアも都市パニックが起こらないように自己検閲をかけたことも大きかった。
片山:メディアは「絆」や「自己規制」「不謹慎」を繰り返し、みんなが逃げ出したり、見捨てたりしないように情報を操作した。菅さんが抱いたような危機認識をストレートに報道したら、我先に逃げようとしてパニックになっていたでしょうからね。
あのとき思い出したのが『日本沈没』(注1)です。国民に日本沈没を知らせるべきか悩む総理大臣役の丹波哲郎に、島田正吾扮する政界の黒幕が「このまま何もせんほうがええ」という考え方もあると言う。下手に伝えて国民を海外に逃がそうとするとパニックが起こるだけだから、と。
【注1/大災害で海に沈む日本のパニックを描いたSF小説。著者は小松左京。1973年に発表され、映画化やテレビドラマ化された。】