いま開かれている国会で安倍内閣の目玉政策である「働き方改革」法案が、裁量労働制の導入をめぐって暗礁に乗り上げ、見直しを余儀なくされた。欧米では一般的な時間に縛られない働き方が、なぜ日本では「働き過ぎにつながる」とか、「残業代ゼロ」と批判されるのか? “組織学者”として知られる同志社大学政策学部教授の太田肇氏が分析する。
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「働き方改革」の最大の課題は長時間労働の是正にある。実際、日本の正社員の年間総労働時間は2024時間(2016年)と主要国のなかで突出して長く、ドイツやフランスに比べて年間3か月ほど多く働いている。また他国ではほぼ100%近く取得する年次有給休暇も、日本人は48.7%(2015年)と半分も取得していないのが現状だ。
一方で、これだけ長時間、休まず働いているにもかかわらず生産性は高くない。時間あたりの労働生産性は主要7か国のなかでも目立って低く、アメリカ、フランス、ドイツのほぼ3分の2の水準にとどまる。
特徴的なのは労働生産性についても、国際競争力についても日本の順位が1990年代の半ばあたりから急落し、その後も回復の兆しが見られないことだ。
1990年代半ばといえばWindows95の発売に象徴されるようにIT革命が勃発した時期である。並行して経済のグローバル化も一気に進んだ。それによって仕事における価値の源泉、求められる能力や資質、職場を取り巻く技術的な環境は大きく変化した。
周知のように日本は長年にわたる工業社会で大成功を収めてきた。その成功体験が制度や慣行、さらに価値観や考え方にまで深く浸透している。なかでも代表的なものが、いわゆる集団主義、より正確にいえば個人が組織から「分化」していないことである。
工業社会、とりわけ少品種大量生産の時代には、工場の流れ作業のように全員が一糸乱れぬ統制のもとで仕事をするのが効率的だった。それはオフィスの事務作業や販売現場においても同じである。
ところが、このような仕事の大半はITや自動機械に取って代わられた。残った仕事は非定型で高度な判断力や創造性を要する仕事、個別対応のサービスなどである。したがって「みんなで一緒」という働き方がなじまない。しかし長年の成功体験に裏づけられた制度、慣行、価値観はなかなか変わらない。それがいま、働き方改革、生産性革命の隠れた足かせとなっているのである。