1970年代は、それまで暗い印象のあったアダルトメディアが日の目を見た時代といえる。日活ロマンポルノの製作開始(1971年)を皮切りに、お色気番組『11PM』が48%という最高視聴率をマーク(1973年)したり、1975年には本場アメリカのヌードグラビアを掲載した『月刊プレイボーイ』が創刊されるなど、アダルトメディアの裾野が広がった時代だった。
そんななか、1976年に創刊されたのが『EIGA NO TOMO(映画の友)』だ。そもそも『映画の友』は、洋画紹介の雑誌として一時代を築いたが、1967年に休刊。その後、商標権を譲り受けていた近代映画社が日活ロマンポルノの特集雑誌『EIGA NO TOMO』として復刊させた。
同誌にはロマンポルノ女優たちの艶やかな裸体が掲載されたが、いずれも他誌とは一線を画すものだった。自身も読者であったアダルトメディア研究の第一人者であるフリーライターの安田理央氏が語る。
「当時、ピンク映画を紹介する雑誌は珍しくありませんでしたが、単に女性のヌードを載せるものがほとんど。ところが、『EIGA NO TOMO』は明らかに男女が絡んでいる写真を積極的に掲載していました。表紙は爽やかな雑誌の体裁だったので書店で買いやすかった」
表紙には、まだ駆け出しだった、小林幸子、中森明菜、森尾由美、森口博子、工藤夕貴なども登場していた。ロマンポルノ作品にとどまらず、風俗店の潜入ルポや、新人女優のインタビューなど、当時のアダルト情報がふんだんに盛り込まれたほか、まだ無名だった稲川淳二や、『伊勢佐木町ブルース』の作曲家として知られる鈴木庸一らが連載陣として名を連ね、ビジュアルだけでなく読み物としても充実。最盛期の部数は、アダルト系雑誌として異例の40万部ともいわれている。
「80年代にアダルトビデオが登場したことでその役割を終えますが、後年のAV情報誌の原型として受け継がれているともいえます」(安田氏)
1986年に『映画ランド(EIGA LAND)』に改題し刊行を続けるも、1990年11月号で休刊。約15年にわたって男性を虜にしつづけた。
取材・文■小野雅彦
※週刊ポスト2018年3月16日号