それまで暗い印象のあったアダルトメディアが日の目を見た1970年代、とりわけ異彩を放っていたのが『EIGA NO TOMO』だ。もともと『映画の友』は、洋画紹介誌として一時代を築いたが、1967年に休刊。その後、商標権を譲り受けた近代映画社が日活ロマンポルノの特集雑誌『EIGA NO TOMO』として復刊し、最盛期には40万部を記録したとも言われている。なぜ『EIGA NO TOMO』は他の映画雑誌と一線を画すことができたのか。創刊編集長・小杉修造氏(近代映画社顧問)が同誌の誕生秘話を語る──
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休刊していた外国映画誌『映画の友』の名を引き継ぎ復刊したきっかけは、1975年に遡ります。前年に公開されたフランス映画『エマニエル夫人』がヒットしたのを受け、ロマンポルノに力を入れていた日活が『東京エマニエル夫人』の製作に乗り出したことを聞きつけた私は、同作の写真集の企画を日活に持ちかけました。
当時、私が編集長を務めていた『近代映画』は、かつて石原裕次郎や吉永小百合、小林旭といった日活の黄金期を支えたスターを長年紹介してきた歴史があります。当時の『近代映画』はアイドル誌になっていましたが、日活とは太いパイプでつながっていました。
こうしたアダルト要素の強い本が売れるかは未知数でしたが、半月で製作した『東京エマニエル夫人』の写真集は想像以上の売れ行きでした。アダルトという新たな金脈を掘り起こした、そんな思いで日活ロマンポルノに特化した雑誌を作ることになったのです。